村上春樹のエッセイを愛読している
小説家としてはあまりに著名な村上春樹氏。
いつも作家の敬称をどうすべきか迷ってしまいます。村上春樹先生、村上春樹氏、村上春樹さん、村上春樹(呼び捨て)。迷った挙句、氏としましたが、本文中では変わるかもしれません。礼儀知らずでしたらすみません。
子どもの頃から活字小説をよく読んでいたけど、どちらかというとミステリーやエンタメ寄りが好みだったので、文学寄りの村上春樹作品にはそれほど関心も接点もなく、ちゃんと認識したのは成人してからだと思います。話題作のタイトルを知っても本屋で山積みされても特に手に取るわけでもなく、いつか機会があれば読もうかなっていう程度。
最初に読んだのは、ラジオに関する連載をまとめた本だったと思います。要はエッセイ集で、面白くて連続して手に取りました。
そして、ほぼジャケ買いに近い形で買ったのが『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』。
ウィスキー製造の地であるスコットランドとアイルランドをめぐる旅エッセイ。写真を撮っているのが奥さまというのも良い。
そして、最近古本屋で見つけて即購入したのが『職業としての小説家』。
彼には熱狂的なファンが世界中に数多くいて、ノーベル賞の時期になると今度こそ村上春樹氏がノーベル文学賞受賞ではとニュースに取り上げられるほど。一方の本人は、小説家としてのご自身の価値について少し客観的に捉えているような感じが前々からしていて、この本を読みながらさらにそんな気持ちが出ています。
身近な小説好きと話すとかなりの高確率で村上春樹作品から感銘を受けていて、それこそ人生に大きく影響を受けたくらいの熱量で勧められたりするので、彼の作品が素晴らしいことはおそらく間違いないのでしょう。
実際に話題作や名作と言われる村上春樹氏の小説作品をいくつか読んだのだけど、正直に言うとストーリーを追って「なるほど」と感じた、そんな実に作業的な感じでした。
どうも心に響きが足りないのは、もっと読むべきだった若い多感な時期に手にできなかったことで共鳴の機会を逸してしまったのだろうなと思います。
一方でエッセイから伝わる率直でラフな村上春樹は本当に面白い。
そして同時に、小説書きとして心の中にある何か部品のかけらのようなところに共鳴してくるのです。
この他に、マラソン好きな彼がマラソンについて書いた『走ることについて語るときに僕の語ること』も好んで読んでいて、つられて走り出しそうになっていました。実際にマラソンを走る知人にその話をして、ついでに本を貸したらそれっきりになっています。
つまり何が言いたいかというと、私はマラソンを始めるきっかけをエッセイ本と共に今も失ったままだということです。
今夜も寝るまで、彼のエッセイを手元に置いて開きます。
終