探しものは、私たちの中にある
NORIKO MURAKAMI さんの『探しものはなんだろう』を読んでいて、むかし読んだ仏教書を思い出し、そこから私自身が書いた『内なるトリックスターとつながろう!』へと連想がつながっていきました。ここでは、そのつながりについて記します。
MURAKAMIさんの記事は、こちらです。
私に仏教書を思い出させてくれたMURAKAMIさんの言葉を記事から抜粋します。
MURAKAMI さんの言葉で私が思い出したのは、臨済宗の創始者である中国の高僧、臨済義玄が弟子たちに語った言葉を記した『臨済録』です。臨済は、弟子たちに語ります。
『臨済録』は、かつて数回読んだのですが、結局分かったという自信はないことをお断わりした上で、私が「わかった気になっている」レベルで、臨済義玄が言わんとしているところをお伝えすると、こんな感じだと思います。
君たちは、自分自身の外にある「悟り」を発見し習得しようと、この寺に修行にくる。その入り口で、君たちは間違っている。
「悟り」は、すでに君たち自身に備わっている。ただ、君たちにはそれが見えていないだけだ。
MURAKAMIさんの言葉とそっくりです。
さらに、『臨済録』から引用します。
ここでMURAKAMIさんに戻ります。
MURAKAMIさんが、そして、臨済が言うとおりなのです。私たちには、対話す力、創造する力が備わっている。ただ、自分がそれを備えていることが見えなくなっているだけなのです。
では、何が、それを見えなくしているのでしょう? 私は、私がGAVIさんからヒントを得て書いた『内なるトリックスターとつながろう!』の次の一節の「トリックスター」を「対話する力と創造する力」に置き換えると、それが上の問いに対する答えになると思っています。
ヒントをいただいたGAVIさんの記事はこちら;
私の記事はこちらです:
対話と創造性が求められている今、私たちがなすべきことは、私たちの外に対話と創造の方法論を探し求めることではなく、私たちに本来備わっている対話する力、創造する力に気づき、それとのつながりを取り戻すことだと、私は考えています。
探しものは、私たちの中にあるのです。
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。
『探しものは、私たちの中にある』おわり
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