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私のキャリア転換/プロフィールの・ようなもの

このところ、人間の多様性について考え続けていて、それが私の人生を振り返る機会にもなっています。考えてみると、私はnoteにプロフィールを投稿していなかったので、「プロフィールの・ようなもの」を兼ねて、私の思いをつづります。

 お断りしておくと「の・ようなもの」という表現は、私のオリジナルではなく、森田 芳光 監督の1981年の映画「の・ようなもの」から拝借したものです。この表現の、断定的でなく微妙にぼけた感じがすきなのです。
 しかし、実は、私はこの映画を観ていません。したがって、これから書く内容と映画のつながりは、まったくないと思います。



1.私のキャリアを振り返るきっかけ

 
 本題に戻ります。先日、クリニックに勤めている知人の精神科医と話していたとき、どうしてそういう話になったのか、その流れは忘れましたが、彼がしみじみした口調で「精神病院勤務で、心を病んでいる人たちのなかでも、生活保護が必要だったり措置入院を余儀なくされたりと最も厳しい状況に置かれた人たちに触れたことが、今、臨床医として本当に役立っている」と言ったのです。

 そのときの彼の口ぶりから、私は、精神病院勤務は、彼が自らのキャリア・パスとして元々想定していたものとは違っていたのではないかと、そんな印象を持ったのです。ただ、突っ込んで尋ねることには遠慮があって、私の印象が正しいのかどうかを確認することは出来ませんでした。
 
 しかし、もし、私が受けた印象が正しければ、知人の人生で、ひとつのキャリア転換があり、それが知人にとっては大きな糧になったことになります。そういうことを思った私は、自然と、私自身のキャリア転換を振り返ることになりました。

2.私が想定していたキャリア・パス

 
 私は新入社員として製造業の大企業に入りました。当時の日本の大企業の大部分では、人事異動で様々な部署と業務を経験させた従業員のなかから上級管理職を選抜する人材育成方式がうまく機能していたと思います。
 私も、そのような育成ルートに乗っているひとりでした。ですから、自分の職業人生の目標はその会社で上級管理職になることであると、ほとんど自明のこととして考えていたのです。

 そんな私が、企業派遣でアメリカのビジネス・スクールに留学しアメリカ式のプロフェッショナル・マネジャーのあり方を徹底して教えられることになります。
 両国の社会・文化の違いからくる差異はあれ、従業員の結束の要となるリーダーに求められるものには共通するものが多いと感じました。

 帰国した時の私は、ビジネスの世界で、リーダーとして、《私にしかできないこと》を成し遂げる未来を思い描くようになっていました。と言っても、具体的にどういう分野で何を達成するというイメージはなかったのですが。


3.職業人としてのアイデンティティの揺らぎ

 ところが、私は、その後に担当した職務を通して、自分の本来の適性は、リーダーよりも「調停役」の方にあるのではないかと思い始たのです。ここで私が「調停役」と言っているのは、個人と組織の間に立って、個人の思い・生活ニーズと組織の要請を擦り合わせて両者がウィン・ウィンになるような道を提案していく役割です。

 留学から戻った私は、30代後半から40代初めにかけて人事部門で病期休職者の復職支援と社員の転職支援を担当することになります。

 病気休職から復職される方は、治療の継続や就業上の配慮が必要な場合がほとんどです。つまり、働く上での制約がある。
 一方、受け入れ職場の側には、復職するからには、病後とはいえこの程度はやって欲しいという要望があります。
 この両者の間では、食い違いも出てきます。

 転職支援は、自ら転職を希望する方を支援したのではありません。工場閉鎖にともなう人事施策として、転職希望のない方に会社要望として転職をお勧めしたのです。もちろん、本人には拒否権があります。
 支援対象になった社員の方と企業(私の会社および転職先の会社)の間で利害が必ずしも100パーセント一致するとは限りません。

 ですから、この二つの業務で、私には、支援対象者の方と企業の間に立って、双方がウィン・ウィンになれる道を探り、それを提案していく「調停役」の機能が求められていたのです。休職者支援では、会社の制度上も、私の医学知識の不足からも、会社の産業医と二人三脚でこの役割を果たし、転職支援では、ほぼ私ひとりでこの役割を担っていました。

 「調停役」の仕事に手ごたえを感じ始めると、自分が、本当に心の底から上級管理職になりたいのだろうかと疑問に思うようになりました。
 入社以来、上司と先輩から私の会社での望ましいリーダーのあり方を教えられ、ビジネス・スクールではアメリカ式のリーダーのあり方を教えられ、そうした教えを基に自分なりに「かくありたい」リーダー像を描くようになっていたのですが、それが、本当に自分が目指すべき姿なのかという疑問が浮かんできたのです。

 自分には、いまやっているような「調停役」の方が、もっと向いているのではないか。そういう風に思い出したのです。

 上級管理職を目指すキャリア・パスに疑問を感じ始めたのには、もうひとつ理由があります。それは、私が、一つのスキルに磨きをかけ続けることに喜びを感じる、職人気質のようなものを多分に持っていたことです。

 人事異動を繰り返しながら管理職の階段を登っていくときに求められるのは、職人的に自分の業を磨くことではありません。迅速に新しい職場の全体像をつかみ、そこにスピーディに馴染んでベテラン社員を使えるようになることです。どうも、私は、それには向いていないような気がしてきたのです。

 ですが、その道に迷いを感じ始めたとはいっても、すぐに上級管理職を目指すルートから下りようという気持ちには、なりませんでした。いずれは部長になり事業部長や機能部門の長になり……というイメージが私の中に沁み込んでいたからです。
 そのルートから外れることは、職業人生での挫折だと感じる。40代の働き盛りで家族もあるのに、ここで白旗を揚げるわけにはいかない。そう思う私がいました。

 こういう矛盾した思いを自分の中に抱えるようになったため、私の職業人としてのアイデンンティティが大きく揺らぎ始めました。大げさな言い方になりますが、アイデンンティティ・クライシスに直面することになったのです。

4.研修業界への転身による解決

 私のアイデンティティ・クライシスは7年近く続いたと思います。最終的には研修業界に転身することで、その危機から抜け出すことが出来ました。

 研修業界は、講師が自らの技量に磨きをかけていくことが強く求められる職人芸の世界です。私は、自分の職人気質を活かせる仕事に移ることで、擦り込まれたキャリア・イメージと私の資質の間の矛盾を解消したのです。

 個人と組織の間に立って個人の思い・生活ニーズと組織の要請を整合させていく「調停役」になりたいという気持ちは、職人的な仕事をしたい気持ち以上に強かったのですが、人の人生に直接かかわる仕事を自分の転身先の選択肢に加えることは畏れ多く感じられ、ためらいがありました。当時は、まだ産業カウンセラーの資格を取っていませんでしたので、正直に言って、自信がなかったのだとも思います。

 それに対して、研修には自信がありました。人事部門で経験した社員教育の仕事は、教材と指導方法を工夫し実践を通してそれに磨きをかけていくもので、私の職人気質にぴったりの仕事でした。成果も上がり、大いにやりがいを感じることができました。

 ですから、転職先として、まず、研修業界を選んだのです。ただ、「調停役」として人の人生に関わる仕事への関心は持ち続けていたので、研修企業に転職してから初級産業カウンセラーの資格を取得しました。

 しかし、産業カウンセラーの資格を得た時点では、すでに研修講師として自立していたので、職業としては研修講師を続けることを選び、研修の世界で、カウンセリングの考え方と技法を応用して働きやすい職場づくりのための対人能力向上トレーニングを開発し提供していくことにしました。
 
 その後、私は、昨年リタイアするまでの20年間、研修業界で働きました。新卒で入社した大企業には19年勤めましたから、それより長くなったわけです。


5.研修に従事していて思ったこと


 研修の仕事では、一般職、管理職あわせて多くの受講者の方々と関わりました。その大部分は、かつて私が乗っていたのと同じ、異動を重ねながら上級管理職へと進んでいくキャリア・パスを歩んでいる方たちでした。

 自分が下りたキャリア・パスを歩み続けている方たちに研修を提供することに、研修講師になりたての頃には、若干の違和感と気まずさのようなものを感じたことがあります。
 
 しかし、よく考えてみると、私は、異動を重ねながら上級管理職へと進んでいくキャリア・パスでの成功の条件がよく分かっていたからこそ、自分の適性に見極めをつけることができたのです。
 であれば、その条件をお伝えすることで、私が選ばなかったキャリア・パスを歩み続けている方のお手伝いをできるはずです。
 このように考えるようになってからは、違和感と気まずさは消え、成功の秘訣を的確にお伝えする方法の工夫に専念することができたと思います。

 また、私の仕事では、一般社員の方々を対象にしたコミュニケーション・トレーニングと管理職の方々を対象とした部下指導トレーニングが大きな比重を占めていて、ここでは、復職支援と転職支援での経験と、産業カウンセラー資格を得るために私自身が受けたトレーニングが大いに役立ちました。
 こうしたトレーニングを通して、私は一般社員と管理職双方の思いと考えを聴き、理解し、また、私自身のメーカーでの管理職経験を見つめ直すことができ、人間としての幅を広げることができたように思います。

 人間、なにごとも、経験したことはムダにはならない。大企業でのキャリアと研修業界に転身してからのキャリアを通して振り返ったとき、私がつくづく思うのは、このことです。

 この思いをもって、このエッセイを締めくくたいと思います。
 

 ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。

『私のキャリア転換/プロフィールの・ようなもの』〈おわり〉




 


 

 


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