『信州上田・塩田平のレイライン』- 文化庁認定のオカルト町おこし
偽史、フェイクロア、創られた伝統といった背景を持つ場所や存在を、現実と妄想が交差する「特異点」と捉え撮影する記事。今回は長野県上田市の『信州上田・塩田平のレイライン』を取り上げる。
『信州上田・塩田平のレイライン』とは
長野県上田市が発信している、地域の歴史・風土にまつわる説
『信州上田・塩田平のレイライン』とは、長野県上田市にある信濃国分寺、生島足島神社、別所温泉に至るまでが、一直線上に配置されているという説のこと。そしてその線は「レイライン」という、夏至と冬至に太陽が照らす光線上と一致するという。
レイラインを構成するにあたって、各寺社にはそれぞれ役割がある。大日如来を安置する信濃国分寺は太陽。国土を御神体とする生島足島神社は大地。信州最古の温泉、別所温泉はそれらを内包する聖地である。これらを総合して、上田市は地域一帯を「太陽と大地の聖地」としている。
このレイラインや「太陽と大地の聖地」といった話の背景には、この地域ならではの気候が関係している。
少雨地域ならではの信仰が元となっている
長野県上田市は日本で最も雨の少ない地域。一方で、有数の穀倉地帯として盛んだったため、少ない水を確保するために池の築造や時に雨ごいを行うなど苦心していた。そのような環境下ゆえに、自然や神仏に雨や太陽の恵みを祈る信仰形態が継承されてきた。そうした背景があるために、寺社仏閣などがレイライン上に配置されているのではないかとされている。
だが、この「レイライン上に配置されている」という説は、あくまで学術的に基づいたものでない。というのも、そもそもレイライン自体が「説」として怪しいものだからだ。
レイラインとは
古代の遺跡や、古くからの由緒ある寺社、自然の山々などを地図上で結んだ際、その線が一直線、または意味ありげな形(五芒星とか)になるように建造、配置されているという仮説。1921年、アマチュア考古学者のアルフレッド・ワトキンスが提唱したもので、特に太陽の通り道と一致することが多いことから、太陽信仰と密接な繋がりがあるとされている。
日本でも富士山と出雲大社がそれにあたるなど、レイライン上に配置されたとされる対象は多い。だが、この仮説は学術的には信憑性のない疑似科学的でオカルト的なものとされている。なぜなら、レイラインという概念が、古代よりあったことを示す史料が見つかっていないからだ。そのため、配置の関連性についても歴史学・考古学的には解明できず推測の域をでない。またそういった状況のため、各地を結ぶ線は如何様にも解釈可能である点も、論争を引き起こしやすいことに起因している。
なお上田市のレイラインも同様に、構成する寺社などがレイラインを意識して建造・配置されたと示す史料はないと、市の教育委員会担当者は述べている(太陽と大地の聖地「信州上田 塩田平」デジタルパンフレット)。そのため、地域の寺社や信仰とレイラインの接点はあくまで推測・想像のものである。
ではなぜ、上田市はこのような眉唾とも言える説に地域の歴史を絡めた発信を行っているのか。そこには、文化庁による地域活性化事業が関係していた。
日本遺産に登録された上田市のレイライン
日本遺産とは
日本遺産とは、文化庁管轄の元、2015年に創設されたもの。有形無形問わず、地域の文化財や歴史的魅力の保存・整備を図るとともに、観光資源として積極的に国内外へ発信し、活用するための制度として運用されている。この点が世界遺産とは異なる。世界遺産は保護、日本遺産は地域活性化が目的である。
またこの制度の最大のポイントは、登録対象が世界遺産や文化財のように「点」ではないこと。日本遺産は、維持・継承されている文化財、伝承、風習などを一つにパッケージ化したストーリー(=面)として国内外に戦略的に発信することで、地域活性化を図ることを目的としている。そのため、登録のためのプレゼンテーションでは何より、点在する地域の文化・伝統を魅力あるストーリーにまとめ語る必要がある。
レイラインがつなぐ「太陽と大地の聖地」として登録される
こうして2020年6月に登録された長野県上田市の、レイラインがつなぐ「太陽と大地の聖地」。
述べた通り、日本遺産ではあくまでストーリーが重要となる。ここで上田市はストーリー上の主要な寺社以外に、地域に多数ある寺社や文化財、土着の信仰とレイラインを結び付け、大きく肉付けすることで、文化庁認定というお墨付きを得た。
以下の写真は、ストーリーを形作る構成文化財の一部。
そのほかにも多くの地が構成文化財となっている。
かなり練られた設定だが、そのストーリー構成にあたって重要な役割を担ったのが、聖地研究家の内田一成氏である。
聖地研究家によるコンサルティング
2020年11月11日のハーバービジネスオンラインにて、上田市のレイラインについて担当者に取材した記事がある。
取材者の昼間たかし氏は、レイラインの裏付けを市に問い合わせた。そこで担当者は、「別所温泉のサイト」とそのサイトに登場する内田一成氏という聖地研究家の主張を元にしたと述べた。
内田氏は「レイラインハンティング」と称し、日本各地の寺社仏閣や遺跡の配置や向きを、GPSによる測量や地質学データ、神話や地域の伝承を参照しながらレイラインの探求・調査を行っている。そして解明した「聖地」を、観光資源として活用する提案を自治体等に行っている。
この内田氏が別所温泉の観光誘致策に、調査・コンサルティングとして携わった。そして当地を、レイラインに基づく『太陽と大地の聖地温泉』として発信した。これがベースとなり、今回の日本遺産のストーリーにまで発展したという。またその他にも、地元の高校教師による独自研究の資料などを参考にしたという(太陽と大地の聖地「信州上田 塩田平」デジタルパンフレット)。
なおこの「レイラインハンティング」も、歴史学や考古学といった観点からの裏付けとは異なり、あくまで「一つの持論」であるため、それを行政・自治体が参照、認定したとあって、上田市には問い合わせが寄せられたという。
「創造された地域史」というグレーゾーン
上田市が創造した、レイラインを絡めた地域史は日本遺産がもつある種のグレーゾーンをついたかたちなのかもしれない。なぜなら、あくまで地域の魅力を発信するためのストーリーが登録対象であり、レイライン自体は重要とはいえ、その構成材料のひとつでしかないからだ。これは即ちストーリーが良ければ、史実とは異なったり、オカルト的な要素を含んでも問題ないということの一例でもある。
だが一方で、それらしく語られるストーリーと「文化庁認定」が持つ説得力によって、正しい町の歴史と認識する人も出てくるだろう。
青森県で発見された『東日流外三郡誌』や、近畿一円に数百点もの数が流布している『椿井文書』。どちらも偽書とされながらも、市の教育委員会などが史料として活用したことで(中には現在も)、地域史とは言え日本の歴史に歪みが生じた事件がある。これらは極端なケースだが、上田市のレイラインもその観点では同じ系譜ともいえるのかもしれない。
終わりに
神々しい光とその通り道に、冷静な眼差しを向け享受する神秘
かつては「信州の学海」と称されたほど、この地域には多くの僧侶が訪れたという。それは一帯の寺社や文化財の多さから十分伺える。そしてのどかな別府温泉街。これらだけでも一見、観光地として十分成立しているような気がする。
しかしコロナ禍以降激化するツーリズムを鑑みると、特に地方はこうした政策によって、現状を超えるような差別化を図り誘致することが重要なのかもしれない。そして地元住民には、少子高齢化で年々語り継いでいくことが難しい地元の歴史と文化に、関心を持ってもらうための一助という側面もあるのだろう。
一番はレイラインが史実であることを示す証拠が見つかることだろう。しかしそれが難しい現在は、太陽が魅せる神々しい光線とその通り道、そして神秘的なストーリーに、冷静な眼差しを向けつつ楽しむという受け手側のリテラシーが試されている。そういう意味では確かに、今も「学海」と言える場なのかもしれない。