「人は自分の◯◯を、相手にも味あわせたい」と思っている
「人は自分の苦労を、相手にも味あわせたい」
と思っている。
という学びと、体験と、今の自分の答えの話です。
今日はダンスに時間を使える日でした。
ブランクは10年以上あるけど。
体は重いし、固いし、あの頃のようには動けないけど
大好きだったダンスを再開した、
30代サラリーマン kskです。
最近は出張も増え始めて、
仕事の時間、家族との時間、
だいぶ久しぶりの、ダンスの時間。
(明日は全身筋肉痛かな…もう痛いし。笑)
ダンスができる環境にも
ダンスにも
音楽にも
感謝しかない。
気分も晴れて、運動もできて
明日は全力で妻に自由なことしてもらいたいと思う
感謝とともに、自然とそう思える。
家庭があって、
7歳と3歳の子供がいて。
休日にダンスをしている と言うと
「家庭は大丈夫なの?」
「奥さんよく許してくれるね」
という感じのことを、よく言われます。
※ここからは人それぞれの価値観の話なので
不快に思われる方がいたらすみません
今まで生きてきて、思うことがあるんです。
「人は自分の苦労を、相手にも味あわせたい」
と思っている
それは頭で考えて合理的に選択してるわけじゃなくて
思考しているわけじゃなくて、
無意識に、感情的にそう思ってる
例えば、夫婦関係や家族関係でも。
自分が苦労していたら
好きなことをしてたり、楽しんでいる相手を許せない
「自分が我慢してるのに、頑張ってるのに」って
家事も育児も大変なのに飲みに行く旦那を許せない
仕事が大変なのにママ友とランチに行く妻が許せない
合理的には、息抜きがあったほうが絶対的に良くて
話し合って、お互いの状況把握した上で
お互いの息抜きとフォローの時間を作ればいいんだけど
お互いに、
「息抜きなんかさせない」
「フォローなんかしない」
「お前もこの大変さを味わえ」って
気づかずに心の底で思ってしまう、無意識がいる
仕事だって
若い時にさんざん苦労したサラリーマンが
自分と同じような苦労をしていない若手に
同じような苦労を体験させたがる。
それが合理的で必要で、効率が良いならいいけど
時代も状況も違う中で、同じ苦労させるより
今の時代に必要な苦労をさせるほうが、結果は出る
そこにあるのは、多くの場合
「自分のしてきた苦労を分からせたい」
分かってもらって、認められ、敬われたい
そんな無意識が、感情が働いてるように思う
根本には、
「自分の大変さをわかってほしい」
「自分の苦労を知って欲しい」
「自分のことを、認めてほしい」
そういう満たされない自分の感覚が
「他人にも同じことを味あわせたい」
そういう乾いた感覚につながるように思います
自分も、仕事がうまくいかなくて
家庭関係もうまくいかなくて
最悪な時期だった時期。
うまくいっている全ての人が憎かった
笑顔の人に、無性に腹が立った
自分だって頑張ってるのに、って思ってた
感謝もなければ、
理解しようとも思っていなかった…
そんな状態で「話し合い」をしても、
そりゃ上手くはいかない…
いろんな人の教えや、助けや、学びのおかげで
少しはマシになったけど
やっぱり自分の頭で考えるよりも
反応的、感情的な自分が大部分にいます…
だからこそ、大切なことって
「自分自身を認めること」のように思います。
「そんな話、何回も聴いたよ」って皆、言うけど
日々やってなかったり
やっててもすぐ忘れたり
忙しさや環境の変化で頭から抜けてしまったりする
自分を認められないと
相手を認められない。
認めたくない。
自分が満たされてないと、
相手に同じ苦労はさせないように、とか
相手を理解し、支え合うこと、よりも
「相手に自分と同じ苦労」をさせたがってしまう
なぜなら、自分のことを、認めてほしいから
誰かと話し合うときも
誰かを認めようとする時も
まず「自分が」満たされてないと
うまくいかないことが多いように思います
だから
自分の為に、何度でも、言おうと思う
「人は自分の苦労を、相手にも味あわせたい」
と思っている、思ってしまう
だから大切なのは
「自分自身を認めること」
今日1日をねぎらって
結果よりも選択した自分を認めて
何かをせずとも、今ここにいる自分を、感じる
自分の心の声を聴いて、見てあげる
これからも、自分自身を認めること
自分自身のための行動や選択も取ること
そして心から感謝を味わって
誰かのための、相手を思った選択をすること
このことを心がけながら
一歩ずつ、少しずつでも、
歩んでいこうと思います。