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希死念慮を飼いならす

大層重たいテーマのタイトルだが、安心してほしいのは筆者が現時点で自死等を検討しているわけではない。ただ漠然と自身の心に居座り続ける、世間がいうところの「よろしくない」思想をこの場で整理したいだけなのである。 色々書き連ねる前に、まず「希死念慮」という言葉の定義を確認しておこう。 このように、今回ひも解いていきたいのは「散発的に自殺に対する思考あるいは観念が出現する」状態のことである。 自分に希死念慮があると薄々自覚したのは、高校1年生にさかのぼる。その年、私は初めて生ま

    • 何者?

      朝井リョウではありません。 noteを書くときはいつも書き出しに困る。夜道を闊歩しながら思案して出た答えは、誤解を招かないための但し書きであった。 この頃、自分らしさというものがわからなくなっている。貴重な交友関係を大事にしようとしすぎるがあまり、「ウケ」を狙いすぎた行動に終始しているように思う。実際のところ「したいことはないの?」と聞かれても何も言い出せなかったぐらいだから、病状は思ったより深刻なのかもしれない。 僕は何者なんだろうか。 僕にとどまらず、皆誰しもが一度

      • 人はなぜ本を読むのか

        僕は本が「そこそこ」好きだ。 思春期の朝読書は必ず家の本棚から掻っ払って小説を読んでいたし、その本に熱中しすぎて先生方に怒られた記憶もある。でも殊更スマホを手に入れてからだろうか、読む習慣が飛んで行った。それも鮮やかに。 そこでふと思う。 なぜ、人は「本」を読むのだろうか。 さかのぼれば情報伝達媒体は紙と筆から始まり、その集大成といえる書籍が僕たちの生活に深く浸透しているのも不思議ではない。 またインターネットやスマートフォンの登場により、感覚としての本離れという意見

        • 人に踏み入る難しさ

          気が滅入るときだけここに帰ってくるのは何ともダサい。けどそういう場所としてnoteが機能してるのなら幾分かましじゃないか、と理不尽を言って久々にタイピングしている次第なのである。 私はどちらかというと「孤独」側の人間であると自覚している。これは友達が少ないなどといった客観的事実もあるのだが、それ以上に他人を信頼しきれないという精神的孤立の意味合いが強いと思う。 ここ1年くらい、社会から逃げ出して昼夜ともにひとりの生活が続いている。とはいえ旧友であったり、各種媒体を通じて最

          「作られた嫌いなのかも」

          まず初めに 書いてみたいことをいろいろ募らせているうちに、何も文章化していないという事実。まあ、「いい文章」が書けないと思い込むのを隠れ蓑に、怠惰をむさぼっていただけなのだが。ただ言うまでもないが、最初からこなす才能など持ち合わせていないので、とにかく駄文だろうが何だろうが、書きたいなら書けばいいのである。ということを言い聞かせ、初夏の湿度にうんざりとしつつも体に鞭を打って、書き連ねてみる きっかけ まず私は熱心な野球・サッカーファンであり、いわゆる「推しチーム」なるも

          「作られた嫌いなのかも」

          ジョルジーニョを想う

          昨日1月31日をもって、欧州各国のフットボール移籍市場は閉幕した。 開幕当初より手薄であった両ワイド・センターバックにそれぞれトロサール・キヴィオルと速攻で急所を補強し、残すはカイセドorNotの様相を呈していたが、まさかのチェルシーよりジョルジーニョ加入。おそらく市場開幕時には予想だにしなかった結末であった。 そもそも、今冬の移籍市場はウクライナの新鋭にまつわる騒動から始まる。 ミハイロ・ムドリク。ウクライナの若き新鋭アタッカーであり、今年のCLグループステージで一躍有名

          ジョルジーニョを想う