人に踏み入る難しさ
気が滅入るときだけここに帰ってくるのは何ともダサい。けどそういう場所としてnoteが機能してるのなら幾分かましじゃないか、と理不尽を言って久々にタイピングしている次第なのである。
私はどちらかというと「孤独」側の人間であると自覚している。これは友達が少ないなどといった客観的事実もあるのだが、それ以上に他人を信頼しきれないという精神的孤立の意味合いが強いと思う。
ここ1年くらい、社会から逃げ出して昼夜ともにひとりの生活が続いている。とはいえ旧友であったり、各種媒体を通じて最低限のコミュニケーションはとっていた。
そのなかで新しく交流を深める集団があった。自慢ではないが、そこそこのコミュニケーション能力は持ち合わせている自負があり、実際として輪に溶け込んで親しんでいくことにも苦労はなかった。
だけど、踏み込みすぎてしまった。いや初心を忘れたというべきか。自分の精神的な居所にしすぎてしまっていたのである。そのため、ふとしたきっかけで相手の熱量が下がっていた時に、おそらく一般では考えられないような落ち込み方を現在まで引きずっているのである。
正直に言えば同じような経験は、人生において1度や2度といったものではなかった。本能的なものなのだろうか、はたまた一度知った喜びに執着しているのか。どうも天涯孤独を気取っていた思春期のように完全個人に戻ることはできず、集団にいる喜びを勝手に失っては求めを繰り返している。まさに「精神的に向上心のないやつ」の劣化版だ。
実際として、完全孤独な時期が人生の中であったかと言われれば疑問符がつく。実生活で孤立していたときも、黎明期のSNSに居場所を覚えていたはずだから。
とどのつまり自業自得であることは明らかで、今後は自分に都度都度ブレーキをかけ、石橋を叩いて渡る精神で進んでいくしかないのだろう。
こんなことで生を実感したくなかったものである。
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