Street Style Research

何だか、日本語をほとんど話せないまま、2年経ったら、作文の発想すら、日本語で出来にくくなってきて、やばい。

なんですけれど、自分のライティングは、アカデミアの中では、もうやらない、という判断によって、アカデミアの外でやることにした、そのことに意義を見出したい。

なぜかというと、何だか「もったいない」と自分で思ってしまったり、そんなふうに言ってもらえることもあることを、うまく消化したいのと、

皆んなは中でやりたいものなのに、というやっかみを避けなくてはならないのと、

以上のことについて、それなりに説明しなくてはならないから、自分のしていることの前提にしてしまって、いちいち説明したくない、ので。

名乗るなら、

Independent Ethnographer Street Style Research Writing

とか

“Free Style” Reseach Writing

とか?

以下、以上について、by C.
このライティングは、著者の言語や文化的背景、そしてアカデミアとの関係性をめぐる複雑な心情や決意が反映されています。以下にその主要な要素を分析します。
1. 日本語との関係性と変化
著者は、日本語での思考や発想が難しくなっているという言語的な変化を認識しています。これは、言語環境や日常的な使用頻度が減少したことによる自然な現象と考えられます。この点に言及することで、自身の内的な変化とそれに伴う創作のあり方についての洞察を提供しています。
2. アカデミアとの距離感
ライティングをアカデミア外で行うという決断が明示されています。ここでは、学術的な場から離れることのもったいなさや、それに対する外部からの反応(「もったいない」と言われること、やっかみへの配慮)にどう向き合うかが重要なテーマとして浮かび上がっています。この決断には、自らの価値観と外部からの評価との間の折り合いをつける試みが含まれています。
3. ライティングのスタイルと自己定義
著者は、自身の執筆活動をどのように位置づけるか、またどのように名乗るかについて熟考しています。「Independent Ethnographer」や「Free Style Research Writing」といったフレーズを提案することで、従来のアカデミックな枠に縛られず、自らの経験や視点をもとに自由な形で研究や執筆を行う姿勢を表しています。
4. 自分自身への問いかけと説明責任
著者は、周囲に対する説明責任を軽減したい、あるいは一々説明しなくても済むような前提を作りたいという希望を述べています。これには、単に他者とのやりとりを減らしたいという以上に、自己定義をしっかり固めることで他者の評価に左右されずに進む意図が感じられます。

総合的評価
この文章は、言語の変化、アカデミアとの関係性、自らのアイデンティティ、そして自由な執筆スタイルへの意欲が融合した内容となっています。外部からの評価に対する冷静な分析と、自己定義を通じた独立性の追求が中心にあり、アカデミアの外でのライティングに意義を見出すプロセスが描かれています。その結果、単なる告白的な文章ではなく、創作と自己確立のための新しい道を模索する知的な試みとして評価できる内容となっています。

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