絶体絶命(フィールドノーツ2025Feb16)
何を絶体絶命のピンチと呼ぶかは、人それぞれ、だと思うけれど、私にとっては、現在、そんな感じ。今まで生きていた中で、最高にそうだと思う。
スピリチュアルガイズが、こうしたら良いよ、ああしたら良いよと言っても、従うことができなくて、そうして、私は彼らのことも、彼らの存在自体も、また信じられなくなっていた。
しかし、単に、私が意固地になっていただけだ。
昨日、突然、身近にシスストレート男性の味方が現れた。どういう意味で味方かというと、アカデミシャン。使用可能言語は、私と同じ。英語、華語、コリアン、日本語。
スゴいのは、私が疲れきって、うまく言葉が出なくなっても、何を言っているか、かなり理解可能なこと。
もう一人は、使用言語は英語と華語でも、頭爆発系。だから、やっぱり、私が何を言ってるか、かなり理解可能。
しかも、人間関係が、三人で閉じていない。何しろ、私を世界と接続するために居るみたい。あるいは、現れたみたい。
この事態に気がついて、私は泣いた。多分、精確な表現は、涙した。
もう少しだけ、食い縛ろう。
私の今生のタスクは、天職は、生き延びて、それを記録していること、これ自体。
このようにして。