心が置き去りにならないように
程よい間隔でLINEやmailのやりとりをしている友人が数人いますが、
今月は連休明けから、何だかいろいろと慌ただしくて、気になりながらも ちょっとご無沙汰してしまった一人から
美しい藤の花の写真とともに「元気?」とLINEが来ました。
美しい藤の花は 彼女の近所のお宅の庭に咲いているもので、とても綺麗なので眺めていたら、
良かったら どうぞ と、中に入れてくれたそうです。
ハラハラと散って地面に落ちている様子がとても品良く美しく、長閑ないい眺め、
これは 友人も いつまでも見入ってしまうに違いありません。
その友人は、以前、私の母がまだあちこち出かけることが出来た時に 会ったことがあるので、
母の様子、無事に安定して元気にしていることなどを書いて返信しました。
今現在、母を在宅で介護中なのですが、なんとなく介護が始まった初期の頃から、
その友人には、介護していると伝えてあります。
今でこそ「介護」や「認知症」という言葉が割と普通に飛び交う世の中ですが、
10年ほど前は、まだまだ そうオープンではなかったと思います。
今は、テレビや雑誌でも 頻繁に 普通に取り上げていますし、何よりも高齢者の数がどんどん増えているからでしょうね。
けれども10年前だって、いやもっともっと前から「介護」も「認知症」も存在していました。
急に出てきたわけではなく、もちろん事実として存在し続けていましたよね。
皆、ひっそりと目立たないように隠れるようにしてきただけのことです。
そして世間も知りつつも、見ないように、気がつかないようにしてきただけのこと。
私も今でこそ、こうしてnoteに書いたりしていますが、
母の認知症が始まった最初の頃は、友人達にも言えなかったなぁ。
いずれ友達付き合いにも制限があるようになるだろうし、言わなくちゃと思ってはいたものの なかなか言い出せずにいました。
それでも 私よりも年齢が上の友人達は、もうだいぶ前に介護を始めていたので、そちらはスムーズに伝わり、
アドバイスをもらったり、介護している者同士、話に花が咲いたり… やはり同じ体験、経験をしていると その人がどういう気持ちなのかは よく分かりますよね。
また別の同世代の友人に話した時は、「話してくれたから言うけれど」と、「実は義母が認知症で かなり大変で」と 話し始めたこともありました。
誰かに話したかったんだ、聞いてほしかったんだなと思いました。
そう思いながらも、やはりなかなか話せる人がいなかったんだろうなと。
後から思ったことは、私が「言う勇気」が無いのではなく、
むしろ友人達が私の話を「聞く心の準備」が出来ていないだろうから、だから なかなか言い出せなかったということです。
その当時、同世代の友人達は まだ親御さん達が元気で 介護って何?という感じだったので、私が話したところでねぇ…。今は皆、介護真っただ中、同じ経験をしている 心強い仲間です。
そして この藤の花の写真を送ってくれた友人、彼女は私よりもずっと若いのです。
一回りくらい?でしょうか。
それでも彼女には私も躊躇うことなく伝えることが出来ました。
何故なのか 理由は明確に分からなくても、言いやすい人っていますよね。もちろん逆もあります。
後から分かったのは、彼女は数年前にお父さんを病気で亡くしていて、亡くなる前の数年間、家族で在宅介護をしていたとのこと。
ああ、なるほど、だからか と、ポンと膝打ちです。
人は感情がある生き物です。
介護に限らず、何か問題がある時に、勿論その問題を解決することが大切ですが、その際に無理矢理押し進めて「心」が置き去りにならないように。
そのことを特によく分かっている藤の花の友人、とても大切な存在です。
こざるカフェは、今日も ゆっくりゆっくり
のんびり 穏やかに時間が流れていきます。
読んで下さって、どうもありがとうございます。
介護というテーマで書いた感じですが、ほとんどの人が生きていく上で関わる普通のこと、決して特別なことではないと思っています。
敬遠しないで、そう思って頂けたらと思います。
よい毎日でありますように (^_^)
こちらの記事は、沢山の方が読んでスキをつけて下さいました。本当にどうもありがとうございます。
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