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祖母の庭


一年中四季折々のたくさんの様々な花が咲き誇る大きくて小さな庭が当たり前ではないことに当時の私は気付くことができなかった。

一つ枯れ、一つ朽ちて
形が変わり、伐採され、
この現実を知った。

丹精込めて育てられた花たちは
勝手に育ったものではないということ。


10年ほど前までいろんな木々が生い茂る庭のある大きな家に住んでいた。今は売り払い引っ越してしまい、家は跡形も無くなった。跡地には大きなマンションが建った。

歳を取った今、如何にその庭付き戸建の環境がありがたかったかを実感した。
今でも戸建てには変わりないが。

立派な杏の木があった。
杏が数え切れないほどたくさんなっていた。

杏の木は道路に面していてがんばって手を伸ばせば届きそうなところにあった。
そんな杏は一度盗難に遭いそうになった。
夜中に脚立をわざわざ立てかけて杏を盗もうとする不届き者とおじが鉢合わせしてしまったのだ。
「何してるんだ!」とおじが声を上げたらその泥棒は飛び上がって逃げていったそうだ。立派な脚立を置いたまま。

小さい頃の私はあまり杏が好きではなく、砂糖漬けにされた杏を炭酸水で割って飲むのだけはお気に入りだった。祖母もお気に入りの飲み方だった。
そんな杏の木もいつのまにかなくなっていた。
枯れてしまったのか、手入れが大変で父たちが伐採してしまったのかは定かではない。


小学生に上がったばかりの頃だろうか、大きな木の横に小さな桃の木があった。
なんで育ったのかは誰も覚えていない。食べた桃の種でも植えたのだろうか。
一本、しゃんと生えてきた桃の木。
桃が大好きな私は日々立派に成長しますようにと胸躍らせながら実がなるのを待ち望んだ。

ある日桃がなった。

小さな木の枝に精一杯の可愛らしい桃の実を一つ、実らせた。
祖母と大喜びをした。食べようね、白桃大好きだもんねぇ、と祖母は私の為に丁寧に切り分けてくれて仲良く食べた。
その桃は今まで食べた桃の中でどれよりも甘く、美味しかった。

それからその木に桃がなることはなかった。
最後の力を振り絞って作りあげた桃の実だったのだろう。いつしか木も枯れていった。

こじんまりとした琵琶の木があった。
よく小学校の給食でも出ていたが、あの食感と味がどうも好きになれなかった。そして私以外の家族も誰も特に好きではない、と結論が出ていつだったか伐採してしまった。
きっと祖母が生前植えたのだろう。本当に植物を育てることが大好きな人だったようだ。


大きな柿の木があった。
家の2階ほどの高さまである柿の木だった。

毎年秋になると、そのたわわに実った柿の実を収穫するのが我が家の恒例行事となっていた。
柿の木も道路からよく見える位置にあるため、収穫作業をしていると通行人からよく見えるのだ。それが恥ずかしくて当時は嫌でたまらなかった。
しかし今思えばそれもいい思い出だった。普通はなかなか経験できることではないだろう。

男性陣は脚立に登り、高枝切り鋏で実のついた枝を切る。
女性陣はそれを下から魚釣りなどで使う網でキャッチする。

その繰り返しだ。

ひと枝に幾つも実った柿は思っている以上に重たくて、網に入るたびにズシっと肩に響く。重労働だ。

それを通りすがりの人、たまに同級生や知り合いに見られるのは子供としては恥ずかしかったわけだ。


柿を収穫して終わりではない。
まだ作業が残っている。

これは渋柿である。渋を抜くために柿を焼酎につけるのだ。
ヘタの部分を焼酎に浸してはケースにしまい、の繰り返しだ。

これまた我が家は柿もあまり食べない家系である。本当におばあちゃんには申し訳ないと思う。

代わりに柿が大好きだと言った高校の同級生に当時大量にプレゼントした。
渋もちゃんと抜けて美味しく食べられたらしくとても感謝された。


庭の端に蔓棚があった。

朧げな記憶では不思議な花がなっていた気がした。時計のような、少し不気味ななんとも言えない花だった。
気になって調べようにもなんと調べたらいいのかわからない。
「時計 花」で検索したところ「時計草」という植物が出てきた。この花だと言われたらそんな気もするが何か違う。
けれど蔓性の植物らしく、蔓棚に育っていたことも一致する。

その蔓棚にはキウイが成っていたらしい。
特段キウイが好きでもない私は全く覚えてなかった。不思議な花の記憶しかなかった。
最後の頃には蔓だけが生い茂った蔓棚になっていた。


朧げな記憶だがワイルドストロベリーも祖母は育てていた。
小さいながら、祖母が紅い実を収穫してジャムを作ると言っていたのを覚えている。食べた覚えはないのだが。



春には玄関横にライラックの花が咲いていた。

道路に面した部分、塀から飛び出んばかりに薄紫色をした小さな花たちは咲き乱れていた。

それはとても綺麗で甘い香りをしていた。私はこの花が大好きだった。淡い紫色がとても綺麗で魅力的で、正にお花の香りというような香りが好きだった。
よく香水など化粧品にもライラックの香りがあるが、あの頃嗅いでいた香りと全く違った。

調べてみたら

「枝を切って成長が止まった時点で香りがなくなってしまうものが多い」

とのこと。どうりで違うわけだ。あの頃の香りが恋しくなって嗅いでみても懐かしさを感じられなかったわけである。

たまにとても恋しくなる。満開に咲き誇って咲いていたライラックが。
けれど庭もない家に越した今、サボテンも育てられない自分には到底育てられないだろうと思い諦めている。


こんなに植物を愛して育てた祖母の孫なのに、サボテン一つ育てられず枯らせてしまった自分が情けなくなる。
一方で還暦を超えて観葉植物やエアプランツを熱心に育て始めた父親は、祖母の血をきちんと受け継いでいるようだった。

あの庭には他にも薔薇や椿、スズラン、シバザクラなど沢山の花が咲いていた。
あれは祖母が手塩にかけて育てた花だったんだなあと、歳を取って今更ながらに身に染みて感じるようになった。


祖母は小学校一年生の時に亡くなったのでほとんど記憶にはないが、それでも断片的に覚えてる記憶では私は祖母が大好きだった。そして今も。


祖母と住んでいた家は今はもう跡形もないが、こうして思い出して書き記すのも悪くないと思った。

祖母はこんな孫を見守っていてくれてるだろうか。

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