本当は演劇を続けたかった。 高校生の頃に初めて演劇部に入り、3年間演者をやり、芝居の楽しさをたくさん味わった。大学へ入り、絶対演劇部に入ると思っていたが、僕のキャンパスはとても小さく演劇部/演劇サークルが無いところだった。 サークルに入らず無所属のまま1年が過ぎた時、別の大学へ入学し演劇部に入った幼馴染のY君から、「俺の脚本で演劇やるから観に来てよ」と誘われた。 高校や大学が別になっても遊んでいた彼がどんなストーリーを書いたのか、ものすごく興味があったから即「行く」と伝
中学生へ上がった2009年、携帯電話は持っていなかったけど、小学校卒業祝いということで父から「iPod touch(第2世代)」を買ってもらった。パソコンは使わせてもらえなかったけど、iPod_touchがあったからYouTubeへずっと潜っていた。 あの頃はまだ広告なんて無かったし、コメントの選別なんかも見られなかったから、罵詈雑言が平気でトップに上がっていた。 だから当時から比べると、今のコメント欄はとても丸くなっている気がする。優しいコメントや、作品を理解してくれるよう
教室や職場など、ある空間で一人が多勢へお菓子を配るシーンがあると思う。あの瞬間が死ぬほど嫌い。 なぜなら、大抵もらえないから。 彼ら彼女らが配るお菓子なんて、帰りにドンキ・ホーテへ寄れば袋で買える。だがそうではない、物の希少性ではなく、その場に加われないという疎外感が、たった数十円のお菓子なんかで苦しめられるのが嫌なのだ。 そのくせ、「今日は貰えるのでは?」などと期待をしている自分が既におり、期待どころか貰った後の会話の流れまでシミュレーションしている。 それが終わる頃に
小学6年生くらいまで、「脱水症状」は女の子にしかならないものだと思っていた。 「脱水少女」だと思っていた。だからいつも夏に「脱水症状」と聞くと、PS2で出ていた「S I R E N」に登場する神代美耶子のようなビジュアルの女の子を浮かべていた。 中学生の頃はバルセロナにある「サグラダファミリア」を、お昼くらいにやっているファミリードラマだと思っていた。 「桜田ファミリア」だと思っていた。 夏休みはお昼頃に起きることが増え、遅めの昼食を摂りながらなんとなく見ていたドラマがそれ
小学校4年生の頃、父にようやくDS Liteを買ってもらった。DSと一緒に買ってもらったゲームソフトは「ポケットモンスター ダイヤモンド」。初めてやったポケモンが「リーフグリーン」で、タイトル画面がお馴染みのBGMで熱く盛り上げるのに対し、ダイヤモンドは神秘的でダークなタイトル画面で心を掴まれた。 最初に選んだポケモンはナエトル、リーフグリーンの時もフシギダネで、最終進化も似たようなデザインだったので、初めてポケモンの世界へ入ることの出来た小1の夏をフラッシュバックさせながら
ボイスドラマ制作サークル「イロガミのブーケ」リーダーを務めています、平塚毅(こわし)と申します。このサークルを立ち上げたのは2022/10/14、あれからメンバーも入れ替わり立ち替わりで、現在は僕一人で創作活動を行っています。 僕自身、音のみであらゆる世界観を楽しませてくれるこのボイスドラマ(ラジオドラマ、オーディオドラマ、ドラマC Dなんて言われることも。呼ばれ方が定まっていません。)というジャンルがとても大好きで、自分でも作ってみたいと思いこの世界へ入りました。 「趣