苦痛な時間「お菓子配り」

教室や職場など、ある空間で一人が多勢へお菓子を配るシーンがあると思う。あの瞬間が死ぬほど嫌い。

なぜなら、大抵もらえないから。

彼ら彼女らが配るお菓子なんて、帰りにドンキ・ホーテへ寄れば袋で買える。だがそうではない、物の希少性ではなく、その場に加われないという疎外感が、たった数十円のお菓子なんかで苦しめられるのが嫌なのだ。
そのくせ、「今日は貰えるのでは?」などと期待をしている自分が既におり、期待どころか貰った後の会話の流れまでシミュレーションしている。
それが終わる頃にはお菓子配りも終わっている。

27歳を迎えた今でも、誰かがお菓子を配っている状況に出くわすと胸が締め付けられる。
何にここまでのトラウマを植え付けられたのか。

遡ること13年前、中学3年生の冬、高校入学に向けた短期間だけの塾へ入った。人数は6,7人ほどで多くはない。会話はせずとも皆顔見知り程度にはなっていた。
先生がホワイトボードに向かって熱弁し、それを聞いてノートをとる。短期間だけのことはあり、冬だが熱い時間を過ごしていた。
塾も後半に差し掛かり、塾長が僕ら受験生に合格祈願と称してキットカットを配った。
 
もうこの流れでお分かりだろう。
 
僕だけ貰えなかったのだ。

しかも冒頭に書いた、職場で誰かがお菓子を配り始めるという流れではない。
塾で、塾長が!受験生に!!合格祈願と称した!!!キットカットを配る!!!!!
もうこれはこの時期の受験生にとって大切なイベントだろう。しかも人数なんてたかが知れている数人だ。その数人の中から僕は漏れてしまった。
もちろん嫌がらせ等ではないことは分かっている。たまたま、そうたまたま配り忘れていたということなのだ。
しかし挙手して「先生、僕だけキットカット貰ってません」なんて恥ずかしくて堂々と言えるわけがない。たかがお菓子ごときで!と心の中で唾を吐いたが、そのお菓子に強く苛まれていた。
後ろの席で授業を受けていたから、貰ったフリをしてニコニコしていた。数人がその場で食べ始めたから、僕はわざとリュックを膝に乗せ「これは後で食べようかな」と呟きながら中をガサゴソ触っていた。赤い袋なんて全く見当たらないのに。

悔しかったから、それから僕は必死で勉強した。
で第一志望は落ちた。
たぶんキットカットは関係ない、普通に勉強不足だった。

このような一件があったこともあり、誰かがお菓子を配り始めるというイベントが始まると、僕は突っ伏して寝るかトイレへ逃げる。

あの時間は、僕の心境にとって強烈なスモッグのように感じる。

甘い香りが、ゆっくりと僕の首を締め付ける。

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