作品へのコメントと、作者へのコメント

中学生へ上がった2009年、携帯電話は持っていなかったけど、小学校卒業祝いということで父から「iPod touch(第2世代)」を買ってもらった。パソコンは使わせてもらえなかったけど、iPod_touchがあったからYouTubeへずっと潜っていた。
あの頃はまだ広告なんて無かったし、コメントの選別なんかも見られなかったから、罵詈雑言が平気でトップに上がっていた。
だから当時から比べると、今のコメント欄はとても丸くなっている気がする。優しいコメントや、作品を理解してくれるような内容が溢れている。

しかしそんな優しいコメントが、時として煩わしく感じる。

僕はロックバンド「GRAPEVINE」が好きだ。特に「アナザーワールド」という曲が好きで、焦燥に駆られる時に聞くと、精一杯息をして今を生きることの醜さを許してもらえるような、とても温かい気持ちになる。
CDに収録されているものも好きだが、ライブ版も好きで、YouTubeでよく拝聴している。
「相変わらず素敵な曲だ…」鑑賞に浸っている状態でコメント欄を覗く。
すると「いい曲書いてくれたらそれでいい。何も言わないよ。たくさん元気もらえたから」といったコメントがあった。調べてみると、どうやらボーカルが女性関係で一悶着あったらしい。それ含めてのコメント、僕はその騒動を踏まえ、ファンからの優しいコメントに再び目を通す。するとある言葉が、頭の中でよぎった。



「うぜえええええええええええええええええ」


何様だこいつ、金を払わずノーリスクで曲を聴かせてもらえてる分際で、作者のプライベートの問題に何を上から目線で語ってるんだ。「何も言わないよ。」と言うなら、本当に何も言うな。

作品に対するコメントと、作者に対するコメント、これが混在するから気持ち悪い言葉が目に入る。もちろん、作者のバックボーンと照らし合わせて「この作品のこのシーンは作者のこの体験が投影されていて…」といった解説は僕も大好きだし、そういうコメントを見ると「なるほど!」と、より一層面白みが増して楽しめる。
しかし作者の出来事を先行に、作品に対して何か言うことは間違っている。だってそれが発覚するまで、お前らピュアな気持ちで摂り込んでたじゃん、後出しジャンケンで文句言うなよ。

創作することは孤独なんだ、受け入れられるかもわからない、受け入れられてもすぐに飽きて忘れ去られる。そんな尋常じゃない環境の中で0から1を生み出している。ましてやこれに生活がかかっているともなれば、このストレスは想像を絶する。

アーティストへの賞賛のコメントはたくさんしてほしいが、何か文句を言いたいと思ったなら、まず自分で何か創作してほしい。時間をかけて拘って作ったものをろくに見られもせず孤独になるこの心境を体験したら、多少の騒動で何か言いたくなるなんてことは無い、普通はそっとするものだ。

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