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インターナショナルスクール

わたしは人生で2度インターに通った。

どちらもアフリカにいたときで、1度目は5~6歳、2度目は12-15歳。
1度目の学校は幼かったので正直あまり覚えていない。

記憶にあるのは、学校が海の近くにあり校庭(日本の校庭とは違い芝生)でボールを飛ばしすぎると海に落ちてしまうことが多々あったぐらいだ。

友人たちはアメリカ、ヨーロッパ、ガボン近辺の諸国の子どもたちで両親は(かなり成功しているような)ビジネスマンや軍隊、大使館などに勤めているらしかった。

仲が良かった友達たちは大きな庭のある豪邸に住んでいて、プールがあったり、家にはなくても6歳児のバースデーパーティがプールパーティ(貸切)だったりした。

ちなみにこのプールパーティはなぜか仲が良かった1つ上のイケイケ(6歳児)女子グループの子のバースディパーティで嫌な思い出しかない。

まず、私は泳げないのでプールパーティに全く興味がなかった。しかも、外国のプールは深いことが多く(1.8~2m)全く足がつかなくて怖かったし、6歳児のくせに日が落ちてからのナイトプール(?)のようなもので、母親にプールの前で降ろしてもらってから(車で)嫌な予感しかしなかった。

中盤は割と楽しくしていたのだが、終盤で全員参加の椅子取りゲーム(負けた人たちは残り物のぐちゃぐちゃになったバースデーケーキやお菓子を食べなければいけない)で大きい子達に小突かれまくって負けてしまい手に取った、クリームでベタベタのケーキは今でも忘れられない。

このとき通っていたのはインターの中でもアメリカンスクールというもので、(名前がそもそもAISL American International School in リーブルビル)先生たちはほとんどアメリカ人で授業もアメリカのカリキュラムに沿ったものだった。学校のカルチャーもアメリカンな感じだったように思う。

同じインターでも2度目に通ったルワンダのインターは全く違った。

ルワンダには3つほどインターがあり、1つはGreen Hillというインター(仮)といった感じで授業は英語だがほとんどの生徒はルワンダ人で色々な国籍の子ども達が(親の仕事のせいでinvoluntary引っ越したために)通う他のインターとは違った場所のようだった。

2つ目はいわゆるインターですごく小規模(よく知らないが50〜80人そこら?)だが(多分)私がガボンで通っていたAISLに似ているようだった。

しかし、ここはとても小規模だし高額だったので私と妹達は3つ目のKICSという所に通っていた。

KICSというのはKigali International Community Schoolの略でキンダーガーデン(年長さん)から高校3年生までの生徒計100人ほどが通っている学校で、茶色い屋根がたくさんある丘の上の住宅街の一角にあった。

ここが特別前のインターと違ったのは学校がもともと Christian Communityの学校だったからだった。

私はクリスチャンではなく、キリスト教のことに対しても大した知識はなかったのでこの学校では色々なカルチャーショックを受けた。

一番最初に衝撃を受けたのは登校初日の朝だった。

私はキンダーガーデンに通うことになっている妹(5歳)と共に学校の門に降ろされて妹を教室に送ってから自分の先生に会った。

教室の壁は緑色で、中学生が工作で作ったような重く歪な木の机と木の椅子が12セット”コ”の字を書くように並んでいた。
教室の前には黒板の代わりにホワイトボードと生徒のものと同じ先生用の木の机があった。

ここまでは(日本の教室とは全く違うが)前のインターでは似たような感じだったので特に驚くことはなかった。

自分の机に向かうと机の引き出しに先生からのカードがあった。
カードの内容は覚えていない(確か、歓迎するみたいな内容)が、その裏にあったものに驚かされた。

何気なくカードをひっくり返すとそちらにも何やら文字が書いてあり読んでも全く意味がわからなかったが(ほとんど英語ができなかった)普通のメッセージとは書き方や文法が全くちがい、最後になんとかなんとか15:32などと書いてあったのが謎だった。

これが聖書の引用だということを知ったのは家に帰って両親に見せてからで、このようなカードにも聖書の引用を載せるということに衝撃を受けた。
日本でウェルカムカードやthanks cardに仏教や神道の引用があるのを目にしたことがなかったのでこのようなところにも宗教のレファレンスを用いることが新鮮だった。

他にも、この学校には(カトリックの)教会が併設されていて水曜日にはチャペルの時間がありみんなで自分の(人生の)課題について話したり、お説教を聞いたり、聖歌を歌ったりした。

もちろん聖書の時間もあり聖書の勉強をしたり、毎週金曜日には聖書の暗記のテストがあった。(私にはとても辛かった)

毎朝、ご飯前、帰りの前にもお祈りをしたりHymns(賛美歌?)を歌い、これら以外にもしょっちゅうキリスト教にまつわる何かがあった。
これらの経験は宗教全般に対して関わりがなかった私にとってとても新鮮で面白いものだった。俗な話になるが、聖書の話を知っていると外国映画をより楽しめた。(頻繁に宗教のレファレンスがあるため。「ハリーポッター」「ダヴィンチコード」「コンスタンティン」など)

聖書の授業の時は「神」や聖書の奇跡をあまり信じていない私はエイリアン達の中にいるようだったが、それはそれで興味深く、授業中に(敬虔なプロテスタントの)生徒が「聖書に書いてあることは本当なのでしょうか」などと問うたときにはとても面白かった。

この学校ではほとんどがミッショナリー(宣教師)の子ども達で私のような、それ以外は少数派だった。特に仲の良かった子達は皆、両親がアメリカ人の宣教師で両親はこの学校で教えていた。最初にいた唯一の日本人の家庭や仲の良かった韓国人も親が宣教師だった。

この学校の良さはまたその宗教性にあり、私のような明らかなクリスチャン以外にも聖書の教え通り優しく接してくれた。

聖書の教えの他にもお祈りなどの文化からとれるように、お祈りでは人のために祈ることがほとんどでそれが生徒や先生達の人間性を表していた。


私は自分のことを(一応)日本人だとidentify しているし、小・高と日本の教育を受けてきたので日本人的感覚があると思っているがたまにちょっと違うよね。と言われることがある。

それがなぜなのかみんな言葉に上手くできないというのだが、違うと思われる感性はインターで培ったのかもしれない。

インターではソーシャルクラスがなく、人種差別、国籍差別もなかった(アフリカは有色人種ばかりだし)。色んな人が皆、完全にフラットで小さい頃は色の違いなどは見えなかった。そう、見えなかったのだ。

プールでバースデーパーティをやった女の子のいた仲良しグループは私を含めて4人で、彼女は有色人種(アフリカンなのかアフリカンアメリカンなのかも知らない)、別の豪邸に住む子は白色人種で(確かヨーロッパ出身)、もう1人の子の肌の色は覚えていない。

これらの色も今思い返せばそうだったな。と思うぐらいで、当初は何も感じなかった。

そんな、見えない時代を過ぎても、10歳に満たない子ども達が皆子どもながらに差別をするなんてありえないということを分かっていて言動に気を使っていた。

両親達もそういったことに敏感な人が多かったのかもしれない。

私の最初の友達はスイス人で、初恋は韓国人で、ルワンダで仲が良かったのはアフリカの子、アメリカ人。

こんなことが他の人にとってはちょっとサプライズだということは日本に帰ってしばらくしてから知った。

私が通っていたのが"アフリカのインター"だったからなのかもしれない特色は(有色人種が多い・宣教師が多い・両親の偏見などが少なそう)色々あるが、

今、日本や留学先で勉強したりしていると同じ"学校"でもインターとは全く雰囲気が違うことに気がつく。

もしかしたらあそこは、理想郷だったのかもしれない。

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