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筒井康隆『敵』
渡辺儀助、75歳。大学教授の職を辞し10年。愛妻にも先立たれ、余生を勘定しつつ、ひとり悠々自適の生活を営んでいる。料理にこだわり、晩酌を楽しみ、ときには酒場に足を運ぶ。ある日、パソコン通信の画面にメッセージが流れる。「敵です。皆が逃げはじめています」。「敵」とは何者か。いつ、どのようにしてやってくるのか。意識の深層を残酷なまでに描写する傑作長編小説。
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これ、巻末の解説ですけど、この感じだと割と序盤に「敵」が現れると思いますよね。全然現れません。この小説ってほんまに「敵」のことを書いてるんかな?表紙と中身、すり替わってるんかな?などと勘ぐりたくなるくらい、「敵」がなかなか出てきません。
延々、細かすぎるくらい細かく渡辺儀助75歳の日常生活について綴られています。誰が興味あんねん、と思うくらい。あれ?これって渡辺儀助さんのブログでしたっけ?それにしてもこんな老いぼれの細かすぎる日記、誰も読まんで。いや、これはこれで面白い。誰が興味あんねん。いや、でも面白い。いまの自分にも当てはまりそうな人生の哲学が詰まっているような気もする。さすが人生の大先輩。ただこのじじい、几帳面すぎるし、近くにいるとめんどくさそうやの。でも愛妻に先立たれてからも性欲に翳りは見えず、自慰にふけっているところなんか、ものすごく共感してしまう。
こうしてどんどんこのおじいちゃんの細かすぎる日記にすっかり嵌まり込んでしまったところにようやく「敵」が出てきます。ああ、そうだ、この小説は『敵』なんだった。
「敵」が出てくるあたりから、おじいちゃんは夢と現実の境界線があやふやになっていきます。どこまで夢でどこまで現実なのか、おじいちゃん本人がよくわからないんだから読者たる私たちにわかるはずもない。
おいおい、これ、何を読まされてるんや?と疑問に思いながら読んでいるうちに、ちょっと待てよ、冒頭からのあの細かすぎる日記もそういえば異常やったし、ひょっとして現実と夢の境界線は最初っから実は曖昧やったのではないか、そうなると私は最初から何を読まされていたんや?
考えれば考えるほどよくわからなくなっていきますが、よくわからなくなってからがこの物語の面白さなんだと思います。冒頭から擬音語擬態語などにやたらわけのわからん漢字の当て字が使われていて、それを読者は筒井康隆特有のおふざけだと思う節があるのですが、思い返せば、あのよくわからない当て字も妙な存在感と気味悪さがあったよな、とぞくぞくしてくる。結局のところ、最後の最後まで「敵」が何やったのか、というのもよくわからない。というか、読者にどーんと丸投げしている。そうやって信頼してくれているところを読者は粋に感じてしまう。
読み終えて私がとりあえず感じたのは、果たして私自身、老いぼれたあとの孤独に耐えられるだろうか、ということ。なるべくなら妻に先立たれたくはない、と思いましたので、私はどうやら孤独に対する耐性が低いらしい。めちゃくちゃ面白かったです。
映画がまもなく公開されます。
これも楽しみ!