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令和6年読書の記録 東野圭吾『悪意』

 人気作家が殺された。逮捕されたのは第一発見者で親友の野々口修。彼は犯行を認めたが、決して動機を語らない。やがて部屋から大量の未発表原稿や被害者の前妻の写真が見つかり、意外な動機が浮かび上がる。観念した野々口はすべてを手記として書くが、それは、あらゆる人間関係を根底から覆すものだった。

↑文庫版巻末紹介文引用

 近頃の電車旅のお供といえば、東野圭吾の加賀恭一郎シリーズです。いまや書店で加賀恭一郎シリーズが並んでいるのを眺めるだけで旅気分が味わえるほどになっております。本来関連性のない二つのものが繋がるのは面白い。いま、私は電車に乗るという行為で東野圭吾を思い出してしまうのです。

 今回は加賀恭一郎シリーズ第三作。
 東野圭吾の推理小説は(ほかの推理小説を碌に知らないのですが)構造そのもので読者に喧嘩をふっかけてくるところがあり、その術中にまんまと引っかかってしまう悔しさがあります。その悔しさがまた東野圭吾作品を読む心地よさでもあるのですが。

 今回は序盤に呆気なく犯人がわかってしまいます。なんせ巻末の紹介文にすでにそれが書いてしまっているのですから。通常の推理小説であれば最後の最後までひた隠しにするはずのものが裏表紙に書いてしまっているというのは、これこそが『悪意』なのではないか。また私はこの人の思う壺、手のひらの孫悟空状態、居心地は悪くない、危ない危ない、これはみんな東野圭吾の作戦なのだ。

 犯人が呆気なくわかってしまうのなら、あとは何が問題になってくるのかといえば「動機」です。野々口は何故、殺人をしなければならなかったのか。野々口はその一部始終を手記として残しているのですが、文章を書くことがお好きな方ならわかるかと思います、書き留めていることなんて決して真実ではないのです。誇張もあるし、文学的に美しくみせようという欲もあるし、反対に都合の悪いことは書き残しさえしません。なんでもあけすけに書いているように見える日記でさえ、絶対に書いていないことはあるし、書いているうち、こっちの展開の方が面白いと判断したら嘘だって平気で書いてしまうものです。それなのに、私たちは、いざ読み手になると書いてあることは本当だと思いがちです。野々口はそういう人間心理を上手く利用して本当の動機を隠そうとするし、そういう人間心理を上手く利用して読者を弄びやがるのが東野圭吾なのです。

 またしてもしてやられました。
 今から帰りの新幹線です。しかし行きに『悪意』を読んでしまったから手元に未読の東野圭吾がありません。困ったな。そうか、こんなときは何かを書くことにしよう。

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