映画鑑賞の記録 『箱男』
完全な孤立、完全な孤独を得て、社会の螺旋から外れた「本物」の存在。ダンボールを頭からすっぽりと被り、街中に存在し、一方的に世界を覗き見る『箱男』。カメラマンである“わたし”(永瀬正敏)は、偶然目にした箱男に心を奪われ、自らもダンボールをかぶり、遂に箱男としての一歩を踏み出すことに。しかし、本物の『箱男』になる道は険しく、数々の試練と危険が襲いかかる。存在を乗っ取ろうとするニセ箱男(浅野忠信)、完全犯罪に利用しようと企む軍医(佐藤浩市)、 “わたし”を誘惑する謎の女・葉子(白本彩奈)......。果たして“わたし”は本物の『箱男』になれるのか。そして、犯罪を目論むニセモノたちとの戦いの行方はー!?
小さな箱の中で王国を作り、守られた状態で世界を一方的に覗く姿は、不確実性の中で揺らぎながら、小さな端末スマホを手に持ち、匿名の存在としてSNSで一方的に他者を眼差し、時に攻撃さえもする現代の私たちと「無関係」と言えるだろうか…。そして最も驚くのは、著書が発表された50年前に安部公房はすでに現代社会を予見していたということだ。
↑映画公式HPより
何回も書いておりますが安部公房はアー写に親近感があり、それが理由で読み始めた作家です。コロナ禍にはじめて『砂の女』を読み、『題未定』を読み、わけのわからなさゆえにいろんな解釈が可能な世界にハマってしまったんですが、いかんせん、読むと疲れるので、ついつい全く疲れない東野圭吾を選んでしまう、ということを繰り返しておりますが、今年はそんな安部公房生誕100年か何かでして、新潮文庫の新刊が出たり、写真集が出たり、何かと周辺が騒がしい安部公房。映画『箱男』の公開もそんな安部公房イヤー令和6年にふさわしいトピックです。
公式HPにあるように映画では箱男を「スマホを手に持ち、匿名の存在としてSNSで一方的に他者を眼差し、時に攻撃さえもする現代の私たち」の象徴の如く捉えるという解釈の仕方を提示してくれているので、原作よりもわかりやすいです。
永瀬正敏、浅野忠信、佐藤浩市っていう名役者が揃うとこんな不条理であり得ない世界ですら、リアリティが吹き込まれる。それはまるで安部公房の筆致そのものではありませんか。
それでまた謎の女役の白本彩奈の演技がうまいんか下手なんかまで謎なんがよかった。ああいう雰囲気を狙って出すのは難しいのではなかろうか。とすれば、すごく上手いのかもしれません。なんとなく、女性の描き方は昭和的で「ああじゃないといけなかったのかな」という疑問は湧きましたが、そのあたりは原作の空気を大事にしてのことだと思いますし、つまり、70年代に書かれた原作を現代の物語に変えるうえで、いちばん難しいのがそういうところなんだろうと思います。
箱男とニセ箱男の白熱の血闘シーンとか、原作にはない見どころもたくさんあって、もっと笑い声が聞こえてきてもいいのに割と館内は静かでした。何か、裏に秘められたメッセージをキャッチしようと必死になってしまうあまり、普通に面白い描写の笑いどころをスルーしてしまう、ということが私もよくあるし、誰しもがそうなんだと思います。うがった目で斜に構えて鑑賞するのではなく、もっと素直に鑑賞することによって、実は後々、追いついてくるのがメッセージだったりするんじゃないかしら。
もう一度、原作を読み、そのうえでまた映画を観て、ということを繰り返したくなる面白い映画でした。
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