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人は、弱い生き物である。 (なぜ企業の不祥事は無くならないのか)

この2週間、組織の中において、人の弱さと言うものを、嫌という程目の当たりにしました。

そして、組織運営の立場に立つものは、その弱さを克服できるものでないといけないと、痛感しました。

私の過去の経験も踏まえて考えると、人の弱さは以下の2つのシチュエーションで露わになるように思います。

① 追いつめられた時
② 器以上の権力(権限)を手にしたとき

① 追い詰められたとき
つい先日、限られた時間の中で厳しい判断を迫られるシーンがありましたが、相談していた上司が土壇場で逃げました。

一人残された私は、覚悟を決めて前に進むしか選択肢がありませんでしたが、こういう時にこそ人の本性が出るんだなと痛感した出来事でした。

身近に言い訳できる材料があると、圧力に耐えきれずそれにパッと飛びつくんですね。ただその言い分はあたかも自分は悪く無いんだという言い分にすり替わってました。


② 器以上の権力(権限)を手にしたとき
特に人事権は人を狂わすようです。

この時期、来年度の体制を固める為に人事の調整が走ります。

後から分かってきた事ではありますが、現場では深刻なトラブルが勃発し、お客様対応に現場メンバーは必死に奔走しているのに、危機感が薄く、主要な幹部連中がなんで動かないんだと疑問でしたが、その理由がこれでした。

皆さん、自分の島を守る事に頭がいっぱいだったんだなと。

また、少し前の話ですが、幹部に昇格された方から、自分専用の接待費の枠ができたことを自慢された事がありました。

いずれも、本来の職務遂行を放棄し、権力の持つ魔の力に見事に負けてしまっている例かと思います。


前にも紹介をしました、冨山和彦さんの著書「会社は頭から腐る」には、「性弱説」という表現が出てきます。

   “そこに善も悪も無く、言い換えればインセンティブと性格の奴隷となる「弱さ」にこそ人間性の本質のひとつがある。性悪説でもなく、性善説でもない、「性弱説」にたって人間を見つめたときにはじめて多くの現象が理解可能となってくる。”

自分自身を含めて、人は弱い存在なんだと言うこの揺るぎない事実を踏まえ、組織運営すなわち経営を行うべきなのでしょう。

かのドラッカーも、その著書『マネジメント』において、

  “人は弱い。悲しいほどに弱い。問題を起こす。
手続きや雑事を必要とする。”

と述べています。

冨山さんは、ご自身が修羅場を経験し、その修羅場から逃げずに立ち向かっていった事から、この事実(現実)を痛いほど身にしみて感じられたものと思います。

そして冨山さんは、経営について以下のように述べられています。

   “善悪一如となっている人間性と人間社会の現実にこそ、経営が大きな過ちを犯す、あるいは組織がとんでもない腐敗を起こす根源がある。自分自身も含めてさまざまな弱さ、情けなさを抱えている。それを理解し、どう対処すれば「弱さ」を克服して、組織の腐敗を防げるのか、さらには弱さを強さに転化して、企業体として「強い」集団となし得るのかに経営の本質的な課題があるのだ。”

私が経験した事なんて、どこにも転がっているような、可愛い出来事だったかもしれません。

ただし、問題から逃げる、言い訳にすがる、権力を使いこなせず悪用する、それらがどんどんエスカレートしていった先に、新聞報道されるような不祥事に繋がっていくのだと思います。

それに歯止めを掛けられるのは、経営陣の「強さ」、だけだと思います。

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