見出し画像

工作舎の隠れ推し本#12 西欧文学に描かれた「森」の意味をたどる 『森の記憶』

note連載企画「工作舎の隠れ推し本」の第12回は、森を切り開くことから文明は始まった『森の記憶』です。記事の最後に、プレゼント企画の詳細が書いてあります。ぜひご応募ください。


『森の記憶』
ロバート・P・ハリスン 金 利光=訳

何を失ったのかを訪ねる

 「人間文明の発展は次のごとし。はじめに森。次に小屋。そして村、それから都市を経て、最後にアカデミーに至った」(ヴィーコ『新しい学』より)の題辞に導かれて、1章「はじめに森ありき」へ。著者が「起源心理学者」と呼ぶジャンバチィスタ・ヴィーコ(1668-1744)はイタリアの哲学者、本書の水先案内人でもあるだろう。

 古代神話は、大洪水のあと原始の森が地上を覆い、そこに散ったノアの子孫である野獣のような巨人が雷鳴に覚醒しゼウスの意図を読み取って、人類に普遍的な三つの習慣である「信仰と婚姻と埋葬」という文明を執り行うようになったと説く。

 森において始まった人類の文明は、森を切り開いていくことで拡張する。つまり「森の記憶」は、私たちが何を失ってきたのかを訪ねる旅でもあるのだ。

 2章「法の影」で興味深いのは、“forest”が勅命により立ち入りを禁じられた土地を意味する法律用語であったこと。たとえば英国では森が王室の御猟林となれば、そこは公共の場ではなくなる。そしてたしかにこうも言える。「現代のエコロジストは、君主制擁護の立場に立たざるを得まい」と。なぜなら、中世に法律としての森が生まれなかったら、自然の森は文明化されたヨーロッパの地からとっくに姿を消し始めていたはずだから。

 日本でも国指定の研究林などについては同様のことが言える。研究のために自然状態が保護される森林は、樹木が高く深く繁り、森は空や周囲から閉ざされる。行き倒れた鹿の屍もそのまま朽ちてゆく。自然状態の森は、人間が日々暮らす場とは異なる結界なのである。そのことを現代の私たちは、皮肉にも管理された森から知る。

 さらに2章ではダンテ『神曲』の地獄篇に現れる「暗闇の森」をめぐる。3章「啓蒙」ではデカルトの『方法序説』における森のアナロジーについて、4章「郷愁の森」ではグリム童話おけるドイツの森とゲルマン的傾向にもふれる。最後の5章「居住」では、ソローの『ウォールデン 森の生活』、そして意外にも、建築家フランク・ロイド・ライト「落水荘」に言及する。

 自然の中で生きようと誘うソローのウォールデンだが、本書『森の記憶』では、一時逗留に過ぎず、その目的は日常から脱して「人生の核心にある根源的な喪失に立ち戻ることであった」と評している。

 少し脱線するかもしれないが、ウォールデンと同じ19世紀前半のアメリカの開拓時代を描く映画ケリー・ライカート監督『ファースト・カウ』を重ねてみると、本書の終盤がより鮮烈に伝わってくるように思う。料理人だというこの映画の主人公の男は、仰向けでもがく小さなトカゲに手をさしのべ、牛と気持ちをかよわせる。そして何より、友を裏切ることがない。とはいえ舞台は荒々しい開拓時代、こころ優しい男にも災難はつぎつぎ襲ってくる。そんなさなか、権利の主張も争いもない、ひと繋がりの大地に穏やかに主人公が横たわるシーンで、映画は幕を閉じる。

 本書『森の記憶』に至る研究のきっかけは、詩人アンドレーア・ザンゾットとの出会いだったことを著者は冒頭で明かしている。詩人は若い著者を原生林の名残りへと案内していた。エピローグで、ふたたびこのザンゾットを「原生林の在りかを忘れずにいるイタリアの田舎人」として挙げている。
原著“forests”の出版(1992)から30年余、エピローグのさらにしめくくりには今を見透かすようなひと言がある。「自然は死に方を知っているが、人間が知っているのはもっぱら非エコロジカルな殺し方である」と。(田辺)


著者紹介

ロバート・P・ハリスン Robert Pogue Harrison
1954年トルコ西部のイズミール市生まれ。76年にサンタ・クララ大学を卒業。84年コーネル大学で文学博士号を取得。92年からスタンフォード大学で、フランス・イタリア文学の教授として教鞭をとる一方、多くの文学批評を著す。邦訳書に『ベアトリーチェの身体(からだ)』(法政大学出版局)がある。
執筆活動の傍ら、2008年から頭脳型ロックバンド「Glass Wave」を結成しリードギターを担当。

書籍情報

『森の記憶』
ロバート・P・ハリスン 金 利光=訳
●本体3800円+税 ●A5判上製 376頁
1996.9刊行

本書目次

一章 はじめに森ありき
ヴィーコの巨人/ギルガメッシュのデーモン/処女神/ディオニュソス/レア・シルウィアの悲しみ/神話的起源から森林伐採へ

二章 法の影
騎士の冒険/御猟林法(フォレスト・ロー)/アウトロー/ダンテの誤りの道筋/愛の影/人間の時代/マクベスの終幕

三章 啓蒙
方法(メソッド)の道/啓蒙とは何か? 森林官への質問/ルソー/コンラッドの垂れ込めた暗黒/ロカンタンの悪夢/荒れ地

四章 郷愁(ノスタルジア)の森
ワーズワースの詩に見る森と世界/グリム兄弟/象徴の森/ディオニュソスを待ちながら

五章 居住
楡の木/ロンドン対エピング・フォレスト/ウォールデンの森/落水荘/アンドレーア・ザンゾット



プレゼント応募方法

X(旧:twitter)facebookで「#工作舎の隠れ推し本プレゼント」をつけて投稿した方、あるいはメール(saturn@kousakusha.co.jp)でご応募の方に、最大3名様に抽選で『森の記憶』をプレゼント!
当選した方には、DMメッセンジャーメールにて連絡いたします。期日は「2024年6月27日(木)」まで。皆様、どしどしご応募ください!

2024年秋から「工作舎の隠れ推し本」シーズン2を始めます。お楽しみに!


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集