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眠ってみた。| 生前葬

遅ればせながら明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
昨年の出来事なので年が明けるまでに書くべきでしたが、相変わらず時の流れについていけず今日に至りました。

はじめに

昨年も色々あったなかで、自分の中で言動と行動を一致させるべく年の終わりごろにセルフ生前葬ならぬものをしてみました。

真っ白な空間の中、ただ一人。
何をしてもいいし、何もしなくてもいい。
そんな時間は案外久しぶりだったかもしれません。


眠ってみたかったわけ

そもそも自分はなぜ眠ってみたいのか。大きく二つあります。
僕自身、生や死に関してそんなに深く考えたことはありません。
ありがたいことに、「今生きていればそれでいいや」くらいのフワフワした精神を船に乗せて何とか24歳まで航海することができています。

ただ正直な話、死にたいと思ったことは多かれ少なかれあるし、その度合いもこれまで様々でした。
(こんなことを言うと、「そんなことを思うものではない」とか「思っても口に出すものではない」などの正論の矢みたいなものが飛んできそうですが💦)

そんな死に対するイメージもあやふやな自分ですが、一つだけはっきりしていることがあります。
それは「死は時として突然である」ということです。
そのことを感じたのは、今から4年前の祖父の死になります。

祖父の家が遠方にあったため、大学に入ってからは中々顔を出すこともなく、年に数回「元気?」と電話越しに話す程度でした。
そんなある日の夜、急に祖父の近くに住んでいる叔母から母へ電話があり、数分後には固まった母がただそこで立ち尽くしていました。

孤独死でした。

毎日家に来る牛乳配達の方が、数日たってもドアポストに入りっぱなしの新聞と牛乳瓶の本数が減っていないことを不審に思い、近所の人に相談。
そこから役場と警察に連絡してくださり判明しました。
大の酒好きだった祖父はそのままお風呂に入ってしまったようで、それが最期とのことでした。
(文脈がはっきりしないのは、見つかったのが死後おそらく1週間は経っており、状況証拠でしかないためです。)

そんな自分が幾度かは口に出したことのある「死」、あるいは自分の身近に起こった突然の「死」というものに対して、その直前なのか、はたまた死そのものなのかは分かりませんが、もっと近くで死を体験してみたかった・体験しておくべきだと思ったという純粋な気持ちがまず最初にあります。

もう一つの目的は、自分の人生の節目を自分で創ってみたかったからです。

昨年、僕は大学を中退しました。

理由は色々あってまた話すと長くなってしまうのですが、一言で表すなら大学生活に限界が来たからです。
今まで学外の活動や休学などを経て何とかその選択から逃げてきましたが、とうとう自分の中で選択の時が来てしまいました。

このまま逃げながらも進んでいくのか、完全に逃げ切るのか。
性格上、誰かに相談するとその人の意見に乗っかってしまいそうな自分がいるので、極力相談はせず、ただ自分から湧き出てきた感情や思考を頼りにしました。

結果、僕は「逃げ切る」という選択をしました。

既にこのことを伝えている人からは、「よく決断したね」や「あと少しなのにもったいない」など色んな言葉をいただきました。
ただ、僕自身は唐突に湧き上がってきた感情でもなく、じっくり向き合った結果なので後悔の「こ」の字もありませんでした。
ゼミの先生もそんな気がしていたのか、止めることもなくただ紙切れを学生課に出して学生証を返して以上終了。案外あっさりしたものでした。

辞めたあとは以前から働いていたレコード屋で引き続き働いています。
僕自身、衣食住音と言いたいくらい音楽は必要なものでして、これからは「好きな音楽で生きる!」というよりかは、「音楽と生きていく」といった心持ちで今はいます。

そんなこんなで音楽な日々を送っている時に、まだ何かモヤモヤしている感覚がありました。
心はスッキリしていても身体がスッキリしていない感覚です。

言動と行動の不一致がモヤモヤの正体でした。

辞めたはいいものの、「紙を書いて出す」という行為が僕の身体にとってはあまりにも軽すぎて重さを感じていなかったのです。

かといって、卒業する場合には卒業式があるけど中退した人に学校側が中退式を設けてくれるわけでもない…。ならば創るか!となり自分自身の区切りの儀式という意味でこの生前葬をしました。


どんな終わり方をしたいか

僕自身が生前葬のためにとった時間は2時間。
場所と時間を決めたところで、さてどう自分を葬るか。
葬り方や先祖の宗派のこと、死後人はどこへ逝くのかなど、あることからないことまで、村田沙耶香さんの「生命式」まではいかないけど色んなことを考えました。

この時間が苦しかったけど本当に楽しかったです。まるで自分自身の手で自分専用の天国を創っているかのような感覚でした。

とはいえ、この生前葬はある程度自分の中でテーマが決まっています。
目的もはっきりしていたし、葬る対象もちゃんとここにいる。
であれば、あとは空いているピースを埋めていくだけ。
やっぱり最期は音で見送られたいということで、自由葬の中でも音楽葬をベースに考えていきました。

音楽葬は、読経などを行わず音楽や演奏を中心に式をとり行うスタイルです。故人が生前に好んだ音楽を、CDや生演奏で流しながらお別れをします。従来の葬儀スタイルにとらわれない「自由葬」と呼ばれるスタイルのひとつです。
https://www.chiyoda-ceremony.com/type/owakare


そもそも人は、生まれるときも産声や心音で音を発し、最期自身が音を出力することが出来なくなったら、お経や木魚、周りの人からの恩(音)によって見送られます。

音楽葬をしなくとも、人は音で生まれ音で見送られていくのです。

ただ、今自分は音を出力しています。
であるならば、今の自分を葬るために今の自分が聴きたい音を流そうと思い、「歳の数」という制限だけ課して選曲をしていきました。
これが今回で一番悩みました。流したい曲がありすぎるためです。
直前まで悩み、決めたのは生前葬の当日でした。


献花は、今までの自分に対してこれからの自分が花を用意しました。
選んだ花は自分の誕生日の誕生花であるヘリクリサムの白。
花言葉は、「永遠の思い出」「記憶」です。
ヘリクリサムは、乾燥させても形が変わらず、色や光沢もそのまま残ることからこの花言葉が付けられたそうです。


髪や血色など今はしろくならない部分に関しては、生前葬らしくそのままにしておくことにしました。

ただ死の体験という意味で白装束だけは着ました。
まさか生きている間に着るとは思わなかったですが、着ていると感情が真っ白になっていく(色が抜けていく)気分でした。


眠ってみて

真っ白な空間でただ一人棺桶に入ってみて。
当時の感情は、正直あまり覚えてないです。
身体の力が抜けて自然と目をつぶりたくなり、そのまますーっと眠りについた感じです。

気づいたら2時間が経っていて、何も考えない・何も感じないことは楽であることを初めて知りました。

目が覚めたら、またいつもの日常で見る景色が変わったわけではないけど、心の中にはちゃんと逝った感覚がありました。
それはどこかに逝ってしまう寂しさよりも、やっと逝ってくれた安堵の方が気持ちとしては大きかったです。
言語化が難しく、無理に言語化して消化されるのも嫌なのでこの辺にしておきますが、やってよかったです。

次はいつになるか分からないけど、またやってみたいと思いました。
人生で出力する音のフレーズが変わるとき。
小説の章が変わるとき。
その時はまた違う形式になるかもしれないし、ひょっとしたら誰かを呼ぶかもしれません。
その際は良かったらご参列をお願いします。

また、終活じゃないけど様々な事柄に対する終わり方・終わらせ方について考えさせられました。
始めるときは終わるときのことなど考えていないし、考えなくても終わりが決まっていることもあります。
ただ、だからこそ自分で終わり方や最後を考え、自ら終わりを創っていくことも時として必要であると感じました。

目に見える何かが変わったわけではないけど、これからも第二章の自分をどうぞよろしくお願いします。

そして、今までの自分ありがとうございました。



セットリスト

1.流れない涙 / 湯木慧
2.産声 / 湯木慧
3.カナリヤ / 米津玄師
4.知らない / 星野源
5.落日 / 東京事変
6.花束を君に / 宇多田ヒカル
7.翳りの讃歌 / 文藝天国
8.流動 / 終日柄
9.今日から思い出 / Aimer
10.ドナーソング / もじゃ,れるりり feat. GUMI
11.パレード / ヨルシカ
12.命に嫌われている / カンザキイオリ
13.クロニクル / 4s4ki
14.moonlake / 4s4ki
15.いつくしい日々 / 長谷川白紙
16.旅 / 君島大空
17.深海より / Tempalay
18.Plankton / millennium parade
19.multiple exposure / サカナクション
20.πανσπερμία / Siip
21.砂漠のきみへ / 羊文学
22.ひとりで生きていたならば / SUPER BEAVER
23.白日 / King Gnu
24.おくりびと~memory~ / 久石譲



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