【やみくもに入れても意味がない!】「ここぞ!」というときに効果的な文章を入れる技術(2018年4月号特集)
よくぞこんな表現をしたものだ、どうしてこんな構成ができたのか。そんな名人芸と言われるような表現、構成を紹介しよう。
ここぞというときに比喩を使え!
村上春樹が変えた表現の常識
作家の駒田信二著『駒田信二の小説教室』にこうある。
以前はこれが常識だった。今も過剰な比喩はよしとされない。文章は平明、簡素がよく、小手先のテクニックに頼らず、まずはしつかり情景描写すべし。
全くそのとおりなのだが、戒めが強すぎて、すべていけないという風潮にもなっている。
それを変えたのが村上春樹。
村上春樹は読者を眠らせないために比喩を使うと言う。
比喩はたとえるものとたとえられるものの意味が遠いほどいい。
安易にやると意味不明な比喩になって逆効果というリスクもあるが、上級者はここぞというときに1回、印象的な比喩を使ってみよう。
上手いと言われる技術の書き方
的確な言葉選び
言葉選びがずさんな人にはうまい表現はできない。自分が頭に思い浮かべたものを読み手が再現できる言葉選びに努めよう。
地下で地続き
ときどき文章が飛んだり、一見関係ないことを書いたかと思ったら、実はちゃんと続いていたということができたら名人級。
巧みな比喩
比喩は醤通に書いたのでは伝わらないと思ったときに使うのが基本。たとえたことが逆効果になってしまわないよう注意。
近藤先生流伝わる文章術:要素が3つあれば文章は構成できる
なぞなぞで共通項を探す
こうした比喩を作るコツは、なぞなぞです。
「音符を書き換えるみたいにその位置を絶えず変化させているもの、な一んだ? 」
答えは「電線に止まっている雀の群れ」。
たとえるものとたとえられるものの共通項を探します。五感で感じ取った特徴を他のものでもどう表現できるかがポイントです。
文章は「3つが基本」
〈家族でご飯を食べていて、お兄ちゃんがご飯をこぼしてお父さんに叱られた。弟もこぽして叱られた。お父さんもこぼした。シーンとなった。〉
という話があります。お笑いの3段オチのようでもあるし、起承転結でもあります。
起承転結は「起承・転・結」の3部構成とも言えます。ぼくは「体験・気づき・普遍性」でも「現在・過去・未来」でも「人・物・自然」でも、また、落語の「枕· 中・オチ」でも、3つが文章の基本だと思っています。3つあれば、起承転結も何もいらない、文章は構成できると思っています。
解決策②:本題を隠せば意外な展開に見える
柱を3つ用意し、流れに身を任せる
構成というと起承転結や序破急が浮かぶ。文章がまとまりにくい人はこうした型を使うのも手だが、短い文章の場合、上級者はこうした構成はほとんど考えない。
書くべきことを書いて、もうそれ以上、書き足すことがなければ、そこが文章の終わりで、構成の仕方に決まりはない。
ただし、全くのノープランで書き出すわけではなく、柱(書くこと) を3つは用意する。椅子でも机でもものが立っためには最低3つの柱が必要で、文章を組み立てるときも同じ。それが起承転結や序破急だろうと言われればそうとも言えるが、柱に決まった順番がない点では自由度が違う。
書くときは半ば即興で文章を書いていく。書き方は自由だが、1つだけ条件を出せば、文章に流れがあること。流れさえあれば順番はなんでもいい。大事なのは自分で書いた流れをしっかり読み取ることだけ。
また、ルールではないが、展開は読まれないほうがいい。
その点、新聞のコラムはうまい。
本題とは関係ないようなX(でも共通項がある) から始め、自然に本題Yに移行する。書き出しの内容は「XとかけてYと解く。そのココロは」のなぞかけを作る要領で共通項を見つけるといい、と竹内政明著『「編集手帳」の文章術』は言っている。
下手にやると書き出しが浮くが、一度やってみる価値あり!
新聞コラムに学ぶ構成のコツ:展開が読めない構成
樋口先生流基本の文章術:基本の起承転結を崩す
色と音と動きを入れる
文章の中に色と音と動きを入れると、印象が変わります。「山に行った」ではなく、「真っ青な空の下に、紅葉があった」と書く。さらに細部に目をやって「真っ赤な彼岸花が咲いていた」と書く。「車があった」ではなく、「車が角を曲がってやってきた」と書く。
それと、一本調子にならないようにしたほうがいい。学生の小論文でも、せっかくいいことを言っているのに、さらっと流してしまうことがあります。
大事なところ、強調したいところでは改行して「なぜだろう」と書くとか、動きがあるところは短い文をたたみかけるとか、メリハリがあるといいです。
基本の型を使うと楽に!
ぼくは、小論文はイエス・ノーに答えるもので、構成は「問題提起・意見提示・展開(証明)・結論」だと教えています。エッセイも型を使うと楽に書けます。
ただし、いかにも問題提起というふうには始めず、体験を書くなどします。いわゆるつかみです。つかみを書きながら、それが問題提起となっている。これは新聞のコラムによくあり、朝日新聞の「天声人語」にも多いタイプです。
ぼくはクラシックが好きで、「第1主題・第2主題・展開· 再現」のようになっていると、すごくまとまりがいいと思う。崩しても基本がしっかりしているので、とっちらからない。文章も同じです。
鈴木先生流文才の要らない文章術:書いたことに疑いを持ち、書きながら発見していく
うまい表現はうまい文章の中にしかない
——うまい表現をする作家というと?
吉住侑子さん。若い頃、国語の教師だったみたいで、古典の素養が生かされているなあと。今の若い人は使わないような古風な言い方に味わいがあって圧倒されます。
もう一人は、直木賞作家の木内昇さん。ものすごく自覚的に日本語を操っている作家で、文体を論じるときはぜひとも引用したい作家です。「そう表現するか、うまいなあ」という表現が随所に出てきます。「顔にはまだにきびが灯っている」とか「欠伸に込めて言う」とか、読んでいていちいち感心しちゃうんですよね。
——うかつにまねしたら鼻につきそうです。
しっかりとした日本語で書いている中に、ときどき小粋な表現が出てくる。前後の文章が正しい日本語なので鼻につきません。
——「にきびが灯っている」はどこから出てきたと思われますか。
言葉というのは書いた言葉に引っ張られるものです。「にきびが灯っている」もすでに書いた言葉に、そう書くように仕向けられた。木内昇は幕末から明治ぐらいを舞台に書いていますが、そうなると庭先には灯籠があり、家には行灯がありという風景が頭にあり、その延長線上に「にきびが灯っている」という表現が出てきたのだと思います。うまい表現は、それまでに書いたことをじっくり読むことの先にあるんです。
展開があれば、どんな構成でもかまわない
——構成について教えてください。
文章はどこから書き出してもかまいません。問題は書き出しを承けて、どうつなぐか、どの部分の不足を先に埋めるかです。その順番に鉄壁なルールはありませんが、読んでいて視座が上がっていき、あるいは思索が深まっていき、最初と終わりの読者の立ち位置が大きく変化していること。
段落を越えていくごとに、ああそういうことを言いたいためにあの話があったのかという段差をいかにつけられるか。この段差のことを展開と言います。
――どうしたら展開させられますか。
すでに言ったことですが、文章を疑うこと、壊すこと、に尽きます。〈若者のスマホ利用が、このところ大きな社会問題になっている。〉この文を読んで、このあと、どう続けますか。
この文に不足している一番の情報は、「社会問題とあるが、何が問題なのか」です。そこで、〈中高生の1 日の利用時間は6時間を越えていて、学習はおろか、家族と過ごす時間さえもが奪われているというのだ。〉と続けたとします。
さて、これで不足は埋まりましたが、一方で、新たな疑問も生まれました。「中高生は6時間も何をしているのか」という疑問です。
つまり不特定多数とのやり取りがSNS 上で展開されている事実に目を向けざるを得なくなり、そしてそうであるなら、「若者をそれほど魅了するSNS とはなんなのか」、この本質論抜きにこの問題は語れないぞ、ということになります。
文章が展開する、これがその瞬間です。何も考えずに書き進めたなら、ありきたりな若者批判で終わったところですが、書いたことをにらみ、そこに疑問を差し入れながら進んだことで、文章は思いがけない方向へ展開した。つまり、「書く」に先立って「読む」をいかに丁寧に行うかが大事だということです。
ちなみに、これは心構えであって、才能ではありません。誰もがやれることなのです。
※本記事は「公募ガイド2018年4月号」の記事を再掲載したものです。