【セリフの「情報」と「間」を制す】セリフの名手が語る「良いセリフ」の条件(2012年7月号特集)
※本記事は2012年7月号に掲載した黒川博行先生のインタビュー記事です。
近年、特にエンターテインメント小説ではセリフの割合が増えており、それにつれてセリフの重要性が高まっています。そこで今回はセリフの名手と言われる黒川博行先生にインタビューし、セリフの書き方についてお話をお聞きしました。
さりげなく情報を与える
――悪いセリフとはどんなもの?
説明説明でストーリーだけを追うというか、ストーリーの内容を説明するようなセリフはだめですね。
――良いセリフは?
セリフの中に説明を紛れ込ませているものでしょうね。読者に対してそれとなく情報を与える。その中で読者を退屈させずに、なおかつ、必要な情報を小出しにしていく。読者に知らしめるというのが一番プロらしいセリフやと思う。
――それをさりげなくやるわけですね。
そう、いかにもさりげなくね。セリフを通じて、この人物の性格はこんなんやなとか、知性や教養があるかないか、それを出していかないとだめやと思う。
登場人物がみんなアホな人だと、何を言うてるか分からんことがあるからむつかしいんですけど、むつかしいながらにも、こいつはキレるなとか、こいつはもうひとつやなというところが表現できるといいと思います。
――セリフを読めばその人物の人となりが分かるというようにする?
しかし、特にハードボイルドの場合、みんながみんなシャレたセリフをしゃべって、みんな頭がキレるというふうなことになりがちなんですけどね。そういうことは本当はないんですね。そこらへんも勘案してセリフを書くと、ちょっと違った味の小説になると思います。
――みんながみんなシャレたセリフを言うわけではないですが、Aというセリフに対して当たり前のセリフを返すのではなく、少しズラしたセリフを言わせたい。そうしたセリフはよく洋画にありますが、映画は参考になりますか。
映画は勉強になりますね。特に洋画はセリフだけの係の人がいるでしょ。そういう人たちは、とにかくどこでどういうふうにシャレたことを言って、どこでどういうふうにおもしろいことを言うか、ずっと研究しているわけやから、わりと勉強になりますね。
――セリフは短編と長編では変わってきますか。
短編の場合はむだなセリフをごちゃごちゃ言うてる暇はないですからね。もっと直接に短く表現せんといかんのですけど、長編の場合はじっくりゆっくりキャラクターを出していけばいいわけですから、無理に早く説明する必要もないし、短編と長編では明らかにセリフの書き方が違いますね。
――短編のほうが量が少ない?
量も少ないし、短編の場合はもっと直接に地の文で《この男は気が短いからよくケンカする》とか、《つまらんやっちゃ》とか、主人公の視点で書いていくことも多いですね。長編の場合はそこまでする必要がない。
セリフの間とズレ
――セリフの間とはどんなものですか。
間というのは、質問に対してすぐに返事をせず、何行か情景描写があって、そのあとにぽっと返事を言うとかです。
――間で何を表現する?
二人、あるいは三人の関係性ですね。Aという質問があって、通常の答えはBなんですけど、その受け応えの応えがないと、読者は「あれ?」と思いますよね。そう思わせておいて、少しおいてから応えを言うという感じです。
――たとえば、自分の娘が彼氏を連れてきて、いきなり「結婚したいんです」と言われたときの父親が一瞬黙るとか、すぐに返事をしないとか?
そういうときはすぐには返事はしませんよね。先に「君は何をしているんや」とか聞きます。「結婚したいんです」という言葉に対して、「君の仕事は?」「○○してます」「それでうちの娘を食わせられるんか」ということを聞いて、しばらくあとで「娘をよろしく」という答えを出すとか。そういうふうな間ですね。
――そうしたやりとりを通じて人となりを出していくと?
その父親の心理の中に分け入っていくのは小説としてはクサいですから、そこをセリフだけで表現できたらおもしろいというか、絵になりますよね。映像はすなわちセリフですら、そこで人となりが表現できるというのは、小説の作法としては程度の高いものになると思うんですけどね。
――セリフの「ズレ」というのはどのようなものですか。
ズレというのは、「Aですか」と言われたとき、「はい、Aです」とも「いえ、Bです」とも言わず、「Cです」とズレたことを言ったりするとかです。
――『悪果』の中で、伊達が「わし、相撲取りみたいに肥ってるか」と尋ねたのに対し、堀内は「いっぺん、まわしを締めてみたらどうや」と返しています。これがズレですね。
「相撲取りみたいか」と言われて、「相撲取りみたいやね」と言ったらだめですが、しかし、ズラしたり飛ばしたりというのは頃合がむつかしい。あんまりズラしたらわけが分からなくなる。
――普通のセリフのやりとりを書いておいて、あとで中間を削るというのはどうですか。
それはいいですね。たくさんセリフを書いておいて、これいらんなというセリフを抜いていく。抜いても意味が通じる場合も多いから、そういうときはどんどん抜いていく。
――たくさん書いて、たくさん削る?
書くときの姿勢はその繰り返しですね。冗長なものをいっぱい書いておいて、どんどん削って短くしていきますわ。
セリフは短い方が自然
――実際の会話と小説の会話では多少違うと思うのですが……。
多少どころか、ものすごく違いますね。言い直しもありますし、間違いもあります。「ああ」とか「うう」とか間投詞みたいなものも入るし、同じことを何回も聞いたり、同じことを違う表現で言う場合もある。むだな言葉が多いですね。
けれども、むだな言葉をみんな排除してしまったら説明だけのセリフになりますから、そこをうまく塩梅していく。よく推敲してね。
――セリフも推敲するんですね。
セリフは必ず推敲せんとだめです。ある意味で地の文よりむつかしいところがありますから、本当に推敲推敲推敲するべきやと思うんです。削って削って削って……加筆するいうのはあんまりないですけど、とにかく削る。削っても、読者に対してこういうことを伝えたいんやというところは最低限残していってね。余計なセリフはいりません。
――セリフは短いほうがいい?
短いほうが自然ですね。良いとは思いませんが、自然です。普通の人間はそんなに長いことは演説しません。やりとりがありますから。しかし、そこでどういうふうな受け応えをさせるかというのはまたむつかしいですね。
――セリフの磨き方というのはあるものですか。
その人がいかに小説を読んできて、いかにそれを自分のものにして、なおかつ、自分で表現できているかというのは、ある意味、センスですから、なんぼ人に言われても下手な人は最後まで下手です。
しかし、セリフは下手でも小説としておもしろければいいんですけどね。逆にセリフは確かにうまい、自然なんですけどもスカスカ。ただ饒舌にやりとりしているだけでは読むマンガですね。
特集「セリフ完全マスター」
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※本記事は「公募ガイド2012年7月号」の記事を再掲載したものです。