『翼をもたない私たちは、それでも空を飛びたかった。』 〜答えの出ない問題だけれど、それでも支え合って生きていく
こんにちは、ことろです。
今回は、『翼をもたない私たちは、それでも空を飛びたかった。』という小説を紹介したいと思います。
『翼をもたない私たちは、それでも空を飛びたかった。』は、3人の作家さんによるアンソロジーとなっており山下君子、麻希一樹(まき かずき)、橘つばさの著作となっています。イラストはorie(オリエ)さんです。巻頭に4ページほどカラーイラストが載っていて、今時な絵柄も相まって若い子たちが手に取りやすい本になっています。
タイトルは、翼をもたない私たちは、それでも空を飛びたかった。(山下君子)/アオイハルノ、ミエナイイバラ。(麻希一樹)/わたしは、わたしの色で、わたしを描く。(橘つばさ)となっています。
本のカバー、そでの部分には
「ヤングケアラー、不登校、自傷行為、PTSD……。
さまざまな問題に直面し、
飛び立つための翼を奪われた若者たち。
それでも空を見上げることを決意した、
3人の少女たちの姿を描いた、
感動のYAアンソロジー。」
と書かれてあります。
『翼をもたない私たちは、それでも空を飛びたかった。』は、中学3年生の女の子、山瀬あずみが主人公の物語です。
あずみは主にロンドンで7年間暮らしており(そのほかヨーロッパ圏内を転々とすることもあった)、父(銀行員)の転勤で日本に帰ることになったのですが、その際両親が離婚し、あずみは関西に転勤が決まった父について行くことになりました。
大阪市内の学校に転校することになったあずみですが、父親は仕事が忙しく、転校初日もタクシーで学校に送りつけてそのまま仕事場に向かってしまいました。仕方なく一人で校長室へ行き、担任を紹介してもらって、教室に入るあずみ。父親が仕事にかかりっきりなのはいつものことなので、あまり気にしていません。
教室で紹介されると、すぐに生徒たちにあれこれ言われました。
趣味が乗馬とかすげー!
あの子、ハイソや。
けど、めちゃめちゃかわいいで。
そんな中、席は後ろの窓際だと言われ歩いていくと、片岡賢という少年の隣でした。
あずみは賢に挨拶するも、賢は無言。
実は理由があって話すことができない少年なのですが、あずみは賢に興味を持ち、なぜ話せないのか気になっていくのでした。
この物語は、明確には書かれていませんが小学生の頃に阪神・淡路大震災に遭い、PTSDになり声が出なくなってしまった賢と、イギリスなど外国に居てあまり日本のことを知らない主人公あずみの交流であると思われます。
あずみは、両親が幼い頃から不仲で、母親が不倫しており、離婚することになったのですが、そのせいもあっていつからか自傷行為をするようになり、手首ではなく手のひらに傷を作るようになりました。
このことは誰も知らず今まで過ごしてきたのですが、ついに父親にバレてしまいます。
仕事ばかりであまり現実に向き合ってこなかった父親。あずみのことも大切にしているようでほったらかしの状態でしたが、大阪に来て温子(あつこ)さんというお弁当屋さんにあずみを気にかけてもらうようになり、少しずつ状況が変わってきました。
クラスでもギクシャクして無視されるような事件が起きてからというもの、あずみは学校でも家でも一人ぼっちで居場所がなかったのですが、温子さんだけは敏感に察知し、あずみを気にかけてくれます。
後にわかることですが、温子さんもまた大震災の被災者であり、悲しい過去を持つ人で、同じく被災して声が出なくなった賢のことも知っており、自傷行為をして悲しい思いをしているあずみの危うい感じを察知して自分の過去を打ち明けてくれました。
そして、賢やクラスメイトと仲違いしている状態を知らないまでも、何かうまくいっていないあずみの力になり、偶然お弁当屋さんに来た賢とあずみを二人きりにし、仲直りさせる機会も作ってくれました。
いまや大震災は珍しいものではなくなってしまいましたが、誰もが被災者になりうる時代で、どんな風にその人たちと接していくのがいいのか、迷うことは多々あります。
日本にいなくて大震災がどんなものか知らなかったとはいえ、被災してPTSDになっている賢を傷つけてしまったあずみは、どんなふうに賢と接していけばよかったのか。
あずみ自身も自傷行為をしてしまうほど心に傷を持っており、それを誰にも言えずにいる状況で、あずみにしかできない賢との関わり方があるのだと物語は語っているようです。
同じ傷ではないにしろ、同じように傷を持つ者同士、響くものがあり、手を差し伸べることができる日もある。そんなときに、彼らは何かしらを学び、成長し、互いを心の支えにできるようになるのかもしれません。
短い物語ですが、考えさせられる物語です。
『アオイハルノ、ミエナイイバラ。』は、高校生の女の子、坂口莉央が主人公の物語です。
莉央は、学校の成績は優秀で、見た目も悪くなく、普段から空気を読むようにしていたおかげか友達も多くて、いつもクラスの中心にいるような女の子でした。
しかし、中3の夏に祖母が認知症になってからは世界が一変。ヤングケアラーとして奮闘します。
高校のクラスでは、放課後に球技大会の話し合いが行われていました。バレーボール班になった莉央は、ほんとうは早く帰らなければいけないところをぐっと我慢して話し合いに付き合います。実は理由があって介護をしていることをみんなには黙っているのでした。
すると、長谷川由奈というクラスメイトが用事があって早く帰らせてほしいと申し訳なさそうに言ってきます。
リーダー格である美海は、まあ長谷川さんは家の事情があるから仕方ないと許してくれます。
そう、家の事情とは祖母の介護なのです。
長谷川さんもまたヤングケアラーなのでした。
この物語は、先ほどと打って変わってヤングケアラーの話です。
二人のヤングケアラーが、どのようにして学校生活を送るか、介護をしていくか、というのが物語の大筋です。
はじめは距離があった二人ですが、ひょんなことに病院でばったり会ってしまって、介護をしていることを内緒にしていた莉央は友達にバレてしまうと危機感を持ちましたが、長谷川さんは何も言わなかったようでバレずに済みました。そのかわり、この人と話してみたいと言う好奇心や親近感が湧いて、ある日英語の授業で2人1組で課題をすることになったのですが、そのときにようやく2人きりで介護の話をすることができ、すぐに仲良くなるのでした。
片方はクラスメイトにヤングケアラーであることを知られている、片方は隠している、その状態でクラスメイトからの偏見や誤解や理解のなさや、心無い言葉が、二人を傷つけていきます。
知られている・知られていない、どちらも一長一短あり、どちらがいいということもないようです。
どちらであったとしても、周りの理解が進んでいるかどうかが問題で、それがないならばどちらにせよ傷ついてしまいます。
ヤングケアラーは、親が悪いということもないようです。もちろん親も死ぬほど頑張っています。しかし、どうすることもできずに、子供も見かねて手伝う。その形が多いのかもしれません。
少しでもその子のことを考えて、理解して、差別することなく普段通り接してくれて、できることはないけれど、何かあったら力になるねって、できるだけ普段通りの学校生活を送らせてあげることが、どれだけ救われることか。と、莉央は思っていました。
友達をやめることも違うと思います。
確かに一緒に遊ぶことはできないかもしれません。LINEや電話も返事が来ないかもしれません。
でも、私が学生の頃は学校で過ごす時間だけでも十分で、ほとんど学校外で遊ぶこともしてこなかった人間なので、それくらいで友達をやめる、疎遠になるというのも違うよなと思ってしまいます。
私はヤングケアラーではなく、病人でしたが、同じように遊べないことを理由に遠ざかっていく人間は確かにいました。
けれど、逆に今までと同じように接してくれる人間もいたので、そこは確かに救われる部分もあったなと思います。
この物語も、短いですが考えさせられる物語です。
また、似た傷を持つ者同士、支え合えることができる点も同じかもしれません。
『わたしは、わたしの色で、わたしを描く。』は、中学に上がったばかりの女の子、蒼井千月(あおい ちづき)が主人公の物語です。
物語の始めはまだ小学6年生なのですが、その頃からずっとクラスメイトが話す『情報』が激流のように流れてきてついていけず、休み時間も気持ちが静まるからと一人絵を描いて過ごしているような女の子です。
しかし、その絵を見て、抽象的すぎてよくわからない、大人っぽいね、フシギちゃん、と言われ、やはり線を引かれているのでした。
中学に上がっても同じでした。
SNSやドラマの話、ファッションや音楽の話などもついていけず、『情報』が多くて具合が悪くなってしまいます。
この学校は全員部活に入らなければならず、絵を描けるならという理由で美術部を覗いてみたのですが気風が合わず断念。ここにも私の居場所はないのか……と思っていたところ、文芸部が小説を読むだけでいいというのでここなら入れるかもと入部しました。文芸部は静かで、しばらく千月を穏やかにさせてくれました。
しかし、結局は不登校になってしまいます。
制服を見ると反射的に具合が悪くなり、行けなくなるのです。そんなときは、家で絵を描いているとだんだんと治ってくるのでした。
両親は、千月がなぜ学校に行けなくなったのかがわかりません。
ここの両親は、母親が少し心配性なのが気になりますが、それ以外は真っ当でとてもいい両親です。
父親が、臨床心理士である大学の後輩を思い出し、連絡を取ってみると「ぜひ連れてきてください」と言われ、『どんぐり教室』へ千月を連れて行きます。電車を乗り継いで行かなければいけない距離でしたが、それでも千月はこの父親の後輩・御子柴(みこしば)の雰囲気がとても良く通うことにしました。
御子柴はまるでラガーマンのようにがっしりした体格の男性で、しかし優しい柔和な感じもあって、裏表がなく、何かを強制することもない、その場に居るだけで安心するような人でした。
そんな御子柴がやっている『どんぐり教室』は、静かなところでした。『情報』がほとんどなく、みんな思い思いに過ごしています。
ある子はダンボールで家を作っており、ある子は箱庭で自分の世界を作り、ある子は何かを真剣に書いている。マンガを読んだり、絵を描いたりする子もいます。
ちょっと児童用のカウンセリングルームに似ています。
そこでは、何をしても良く、おやつも出してくれます。
ただ一つしてはいけないとするならば、他人を否定すること。ここでは、みんなの違いは受け入れられ、認められるのです。
学校で線を引かれてきた千月は、その方針にびっくりしました。でも、だからこんなに居心地がいいのだとも思いました。
千月は、絵を描くことにしました。
ここにあるスケッチブックや色鉛筆やマーカーなどは全て自由に使用していいのです。それだけで、胸が高鳴るのを感じました。
千月は使ったこともないような道具に心躍らせながらも、ある一人の男の子が気になっていました。
それは、テーブルで書かず地面に突っ伏して一心不乱に何かを書いているカガミくん。カガミくんは、見事な鏡文字を書く小学生高学年くらいの男の子でした。
しかし、話しかけてもあまり反応がありません。
『どんぐり教室』では、あまり他人に踏み込むことはしないため、ありのままのカガミくんを少しずつ受け入れながらも、隣で絵を描いてみたり、おやつが来ると一緒におやつの部屋に行かないか?と声をかけてみたり、いろいろアプローチしている間にカガミくんも少しずつ心を開いてくれるようになり、話しができるようになりました。
ある日、カガミくんと一緒に絵本を作ることになりました。千月が自分でカガミくんを誘って実現したことです。千月が絵を描き、カガミくんが物語を書きます。
カガミくんは、ときどき夜寝るときに見る夢の物語を書くことがあり、それが幻想的で面白かったり美しかったりしてとても好きなので、その夢をベースに絵本を作ることになりました。
作るとなったら妥協はしないカガミくん。千月はたくさんの難しい「監修」を受けながら、カガミくんが想像する世界へと絵を近づけていきます。
無事に描き上がったものの、上手く描けず技術力が足りないと痛感した千月。
すると、御子柴が自分の知り合いに絵画教室を開いている画家がいる、その人の知り合いに絵本作家もいたはず、とその人たちを紹介するから教室に行ってみてはどうか? と提案をしてきました。普段お願いをするような人ではなかったので驚きましたが、自分自身、力が足りないと思っていたので会ってみることにしました。
こうして、千月はまだ学校には通えないものの、またカガミくんと絵本の続編を作るために、絵画教室に通ったり、『どんぐり教室』に通ったりする生活が始まったのでした。
この物語は、不登校の子たちがメインの物語です。
なんらかの事情で通えなくなった子たちも、『どんぐり教室』のような場所へなら通うことができます。
しかし、物語の中で千月の母親が心配していたように、こういう場所があることはとてもいいことだけれど、学校に通えないということは社会にも出ていけないということで、今はいいけれど将来はどうしたらいいのだろうか? という不安が正直あって、それに対して悩んでいる両親の姿もあります。
けれど、御子柴はその不安や心配は当然のこととしながらも、やっぱり休むことは大事で、この場所があるからこそ羽ばたいていけることもあるのだと。もちろん全ての人が飛び立てるわけではないけれど、そこは子供を信じて待つというか、飛べなかったら飛べなかったでまた別の案を考えるというのが御子柴の意見でした。
私も飛び立てていない部類なので痛いほどその不安や心配が理解できるのですが、答えは本人が自分で見つけるしかないと。そのための充電期間であり、この場所であると御子柴が言うように、確かにどうにもならない問題ならば何かしながら待つしかないのだと思います。
一生飛び立てない人もいるかと思います。私がその一人かもしれません。でも、毎日楽しく生きていますし、家族や友達に迷惑をかけながらも、自分にできることをやりながら、どうにか意味や答えを探している途中でもあります。
千月やカガミくんのように、創作活動をしながら生きていく人もいます。それがお金になればいいですが、ならないことも多いです。けれど、生きがいにはなれます。人は、生きがいがないと孤独で生きていけません。
人との関わり合いというのは、仕事をしていなくても出来ることです。仕事ができればいいですが、そうでなくても社会と繋がることは出来ます。
なんだか私の話になってしまいましたが、千月やカガミくんがいつか飛び立てるように願うばかりです。
さて、いかがでしたでしょうか。
どの物語も短いですがしっかりした世界があり、いろいろな事情を抱えた子たちが出てきます。
そのどの子をとっても考えさせられる物語でしたが、明確なわかりやすい答えがないこともその問題を難しくさせているのかなと思います。
けれど、人と人との関わりです。もともと答えなんてないのですから、実際に会う人々と(あるいは子供と)接しながらいいバランスを見つけていけたらいいのかなと思います。
傷つけたらちゃんと謝って、理解してるつもりにならずに、相手に寄り添うこと。待つことも大事です。
長くなりました。
それではまた、
次の本でお会いしましょう~!
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