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『世界でたったひとりの子』を読んで

こんにちは、ことろです。
今回は『世界でたったひとりの子』という本の感想を書いていきたいと思います。

『世界でたったひとりの子』は、著・アレックス・シアラー、訳・金原瑞人の小説です。

GoogleBooksのあらすじでは、「医療技術が発達し、いつまでも若いまま生きられるようになった世界では、かわりに子どもが生まれなくなった。数少ない本物の子ども、タリンは「子どもとのひととき」を提供することで暮らしをたてていたが、大人になる前に見た目を子どものままにしておく「永遠の子ども」手術を受けるよう期待される。大人だらけの世界で生きる少年タリンの運命は?」となっています。


主人公は、タリン。男の子。
この世界では珍しくなってしまった、本物の子供。
ディートという男性と暮らしています。
ディートは、タリンのことを使って商売をする悪いやつ。
一応の衣食住は与えていますが、それ以外の自由はありません。

ディートはタリンに一生子供のままでいられるPPインプラントという手術を受けないか?と持ちかけます。
それで一生こき使うつもりなのです。

タリンはゾッとして拒むのですが、だんだんその日は近づいてきて……


この世界は近未来なのか、医療技術が発達してあらゆる病気が人間から取り除かれ寿命が伸びたあと、老化防止薬という薬を飲めば、それ以上老化が進行しない、あるいはだいぶ遅らせてくれるようになり、150歳や200歳まで生きることが可能になりました。

40歳になると政府から老化防止薬を配られて、大抵の人は飲むので、みんな40歳くらいで見た目が止まっています。

もちろん倫理観に沿って飲まない人もいます。
けれど、それはごくごく稀で、どうしてあんな皺くちゃな老人になりたがるのかわけがわからないと嘆く人がほとんどだそう。

そんなある日、とあるウイルスが蔓延して、罹患した人は生殖能力を失ってしまう現象が起き、ほとんどの人がかかってしまったため、この世界ではごく一部の幸運な人を除き、子供を産めない身体になってしまいました。

しかし、そのおかげで、人口が過密になることを防げたのでした。


まず、この物語を読み始めると、タリンがずっと逃げ場のない場所で苦しんでいることがわかります。
読んでるこちらも閉塞感を感じ始め、それがどこから来るものなのか探ってみると、ディートだけではなく世界そのものが閉塞的でおぞましいことがわかってきます。

PPを受けた子供の象徴、あるいはこの世界の象徴として、ミス・ヴァージニア・トゥーシューズという小さな女の子のことが語られます。
彼女は違法であるPPを受けたことを隠しません。
年齢も隠さずに<五十五歳にしていまも現役のダンサー。あなたの持てなかった娘を見に来て。みんなが大好きな女の子>と、もう何十年も子供のまま歌ったり踊ったりしながら巡回公演をして生活しています。
それが、子供が持てない人たちからすると、どうしても見に行きたくなる可愛らしさで魅力的に映ります。
タリンもその子のことを可愛いと思いますが、やはりゾッとしてしまう部分もあり、ああはなりたくないと一人密かに思っています。

そうです、こんな考えでいることすら彼らにとっては許されないことなのです。
タリンは大人になりたかった。
普通に生きて、普通に死にたかった。
そんな自分と同じ考えの人間はどこかにいないのかな?と思いますが、周りにはいません。
タリンは孤独でした。


タリンは、ディートの図らいで、1日1時間、本物の子供を貸し出します、という商売をしていました。
もちろん、1時間だけでなく、2時間だったり、午後いっぱい貸し出されるときもあります。
ディートはこれで、たくさん儲けていました。
タリンは、こんな生活にうんざりしていました。

タリンは自分がどこから来たのかわかりません。
家族がいたのか、いたと思うのですが、この頭に残っている思い出が自分の作った幻なのか本物なのかわからずにいて、でもやっぱりこんな生活は嫌だから本物の家に帰りたいと強く願っています。

物語の途中、こっそりDNA鑑定をして家族を突き止めようとしましたが失敗に終わり、途方に暮れていました。

そこでもやはり孤独感と閉塞感とがグッと胸に重たくのしかかってきます。


すると、今度はディートとは違うひとさらいが動き出し、物語が渦を巻き始めます。
キネーンと名乗るその人物は一体何者なのか。
どうして、タリンのことを追っているのか、それはぜひ読んで確かめて欲しいのですが、この物語のラストはハッピーエンドで終わっていることだけはお伝えしようと思います。

自分も家族がいないのに、1日1時間あなたの子供として貸し出される矛盾。
強い憧れと、悲しみ。
この人が本当の母親だったらいいのにな、と思うこともあったけど、そんなことは口には出さないように気をつけて、何食わぬ顔をしてやり過ごす痛み。
やっと出会ったと思ったら、本物の子供ではなく中身が中年の子供。
ぼくは本物の子供と遊びたいだけなのに。
気持ちを共有したいだけなのに。

作者はどうしてこんな物語を作ったのでしょうか?
どうして、こんなにもタリンを孤独に追いやったのでしょうか?

答えはラストにあると思います。
ネタバレになるので言えませんが、このハッピーエンド、私たちが当たり前に思う幸せの価値観が描きたかったからこそ、その真逆の歪んだ世界を書いたのかなと思います。

それか、本当に医療技術が進めば、こんな未来もあり得なくは無いぞと想像したのかもしれません。

いずれにせよ、重く苦しい世界ではありますが、考えてみる価値はあると思います。

病気しないことは良しとしても、寿命が伸びに伸びて200歳まで生きたとして、それは本当に人間が耐えうる長さなのか。
それは子供のままの姿だとしても同じです。
本当の幸せは何なのか?
豊かさとは何なのか?

タリンは一生ディートにこき使われる人生なのか?
PPインプラント手術を受けさせられてしまうのか?

ぜひ、読んでみてください。


いかがだったでしょうか?
それではまた、
次の本でお会いしましょう~!


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