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五歳で伊勢の神宮の斎王に! ことの葉綴り 九一六回

一粒万倍日

おはようございます。九月三日(土)吉祥日の「一粒万倍日」です!
何かをスタートさせたり、婚礼、引越しも大吉。
一粒の種をまくと万倍に実る! 宝くじ購入、お財布新調も最適ですね。
他の暦は、六曜は「先負せんぶ」で午後が吉。控えめで平静を心掛けることが吉。十二直は「とず」預金したりと納めて使わないよう“閉じ込める”のにいい日(^^)。二十八宿は「じょ」で、種まきにいい日。何かお稽古をスタートするのもいい日。また天が母のように人を慈しむ「母倉日ぼそうにち」は、建築ごとも吉。ご神事やお参り、ご先祖供養にいい「神吉日かみよしにち
皆さん、台風の影響でお天気も崩れそうですが、楽しい週末をお過ごしくださいね。


斎王いつきのみこ制度の成り立ち

今から、約二千年前のことです。
天照大御神さまをお祀りしながら各地を巡幸された、初代の斎王いつきのみこ豊鋤入姫命とよすきいりひめのみことさま。
 それを受け継いで、天照大御神さまを伊勢にお祀りして神宮をご創建された倭姫命やまとひめのみことさま。

こちらのご巡幸の物語「元伊勢」をずっと見てきました。
ご興味ある方は、こちらをご覧ください。

https://note.com/kotonohatsuzuri/m/m9e0983cce2bc

https://note.com/kotonohatsuzuri/m/maf9b55ce0af2

倭姫命やまとひめのみことさまの跡も、伊勢の神宮は、天皇に代わり、未婚の皇女が、天照大御神さまにお仕えして祭祀をおこなう斎王いつきのみこ(さいおうとも呼ばれる。またのちに斎宮いつきのみやさいぐうともよばれる)は、続いていきました。
神代から伝承時代の斎王いつきのみこがいらしゃって……。
そして、歴史上、実際に実在したと最初に確認されたのが、大来皇女おおくのひめみこさま(天武天皇の御世676年~686年)でした。
奈良時代には、この斎王いつきのみこの制度が確立されていき、南北朝時代(1330年頃)に制度が終わりを迎える前の六六〇年間の間に、六七人ほどの斎王いつきのみこさまがいたことがわかっています。




五歳で斎王いつきのみこに!井上内親王

大来皇女おおくのひめみこさまは、最愛の弟大津皇子おおつのみこさまが謀叛の罪に問われ処刑され、斎王いつきのみこをとかれ大和に戻られました。
その後、持統天皇さまの御世には斎王いつきのみこは伊勢には派遣されず十三年間空白があったそうです。

その後、天武天皇と持統天皇の孫の文武もんむ天皇の皇太子、首皇子おびとのみこ(のちの聖武天皇さま)の皇女、井上内親王いのうえないしのうさま。
七二一年(養老五年)に、卜定ぼくじょう」で、斎王いつきのみこに選ばれます。
そのとき、なんと五歳!!

そして、六年後の七二七年、父の首皇子おびとのみこさまが、第四十五代、聖武しょうむ天皇さまにご即位された後、斎王群行にて伊勢に向かわれました。
この時、十一歳でした。

この井上内親王いのうえないしのうさまが、斎王いつきのみこ時代、聖武天皇さまの斎王の御世には、制度が一気に確立されたそうです。

その背景には、聖武天皇さまの御世に、天然痘が大流行し、また災害も多かったそうで、遷都を繰り返されたそうです。
国の平安を祈り仏教に帰依し、国分寺・東大寺をご創建されて、廬舎那仏大仏の建立を発願されます。
同時に、皇祖神の天照大御神さまをお祀りする、斎王制度も、しっかりと制度を確立されていたようです。
なにせ、斎王いつきのみこは、長女である幼き皇女井上内親王いのうえないしのうさまですしね。
愛する娘に、天照大御神さまの祭祀を委ね、その祈りをサポートするための制度拡充だったのかもしれませんね。

井上内親王いのうえないしのうさまは、十一歳~十九年の間、伊勢で斎王いつきのみことして天照大御神さまにお仕えされました。

―次回へ

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