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女鳥命を隠し守った「姫隠し岩」 仁徳天皇二七 神話は今も生きている ことの葉綴り七〇四
二並び二日で、明日は節分!
おはようございます。如月二日、寅の年、寅の月、明日は節分。
で、2022年2月2日と「2」が並ぶ日ですね(^^)
で、二月二日(水)の暦は、六曜は「友引」で、朝と夕が吉。何事も勝ち負けがないとされます。十二直は「納」で、物事を納め入れる日。商品の買い入れ、買い物に吉。
そして、二十八宿は「参」で、こちらも物品の仕入れ、取引開始、設備工事にいいひ。お祝いごと、旅行も吉です。
さっそく神話の物語に入りますね。
追っ手から逃れ、目指すは伊勢!
「謀叛者の速総別と、女鳥を討て」
仁徳天皇さまは、“謀叛者”として、異母妹の女鳥王さまと、速総別王さまに、軍勢を向かわせました。
二人は手と手を取り、とても険しい山を登って逃避行を続けます。
倉椅山は、梯子を立てたように
険しいけれど
愛する人、女鳥と登っていくことは
けっして険しいとは思わない!
速総別王さまは、危険な岩場も女鳥王さまの手を取り、守りながら逃げていきます。
倉椅山(奈良県桜井市の南端の音羽山といわれる)から、さらに東へ、東へと逃げていきます。
大和のすぐ隣は三重……。
そう、お二人は、伊勢の国へと逃れようとしていたそうです。
女鳥を隠し守った「姫隠し岩」
宇陀市の室生田口には、今も「姫隠し岩」と呼ばれる岩があるそうです。
速総別王さまと、女鳥王さまが、お二人連れで逃げているのを怪しまれないように、姫の女鳥王さまだけを小さな岩の影に隠して、追っ手の目から逃れたという伝承が残っているそうです。
すごくないですか?
「姫隠し岩」からさらに、速総別王さまと、女鳥王さまは、手を取り合い、伊勢を目指すのですが……。
曽爾村に伝わる二人の伝承
その先の宇陀(奈良県宇陀市)の蘇邇に到ったところで、どうどう、天皇の軍勢に追いつかれて、見つかり、殺されてしまいました。
蘇邇は、現在の宇陀市曽爾村です。
日本の300名山の俱留尊山と亀山の麓の曽爾高原が美しく、「日本で最も美しい村」連合に加盟する自然豊かな美しいところです。
曽爾村の今井には、横穴式石室墳の「楯岡山古墳群」があり、その1号墳は、速総別王さまのお墓。
2号墳は、女鳥王さまのお墓という伝承が残ります。
やだ、古墳の年代とお二人の時代が異なるのですが、伊勢を目指しながら命を落としたお二人を偲んで生まれた伝承ではないか……そう呼ばれているそうですよ。
もし……愛する二人が、伊勢へと逃げ延びることができていたら……な~んて願ってしまいました。
でも、神話って本当に今も生きていますよね。
ちなみに、お二人の命を奪ったのは、天皇の軍勢の将軍、山部大楯連といいます。
ちょっと、覚えておいてくださいね。
次回へ。
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