猿田毘古大神の故郷?阿射加 元伊勢巡礼 ことの葉綴り 八六九
7月19日(火)は一粒万倍日+満
こんばんは。最近、夜の更新が続ています(苦笑)
皆さんは三連休いかがお過ごしでしたか? 私は昨日から在宅でのお仕事で、一息ついた夕刻から「ことの葉綴り」に向かいます。
明日七月十九日(火)の暦は、六曜は「友引」で、朝と夕が吉。何事も勝ち負けのない日。十二直は、すべてが満たされる「満」。ただし控えめにしてよし。祭祀、お参り、婚礼、お祝いごと、引越し、旅行、建築、新たなこと、種まきも吉。
二十八宿は、「觜」で、お稽古始め、お仕事始めに吉。連休明けにぴったりですね。
そして、吉祥日の「一粒万倍日」と「神吉日」です。明日も大雨になりそうです。気温も30度を超えそうですし、お身体ご自愛くださいね。
元伊勢ご巡幸旅の続きへ
さて約二千年前、垂仁天皇の皇女の倭姫命さまが、皇祖神の天照大御神さまのお鎮まりになる宮処を求めて、ご巡幸された「元伊勢巡幸地」を訪ねての旅の続きです。
今回の旅で巡ったのは、
愛知県一宮市「酒見(さかみ)神社」さん。
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三重県桑名市多度町「野志里(のじり)神社」さん。
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三重県亀山市の「布気皇舘太(ふけこうたつだい)神社」さんと、「忍山(おしやま)神社」さん。
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三重県津市「加良比乃神社(からひの)神社」さん。
荒ぶる神を鎮めた倭姫命さま
伊勢神宮の内宮(皇大神宮)の外幣殿を第62回「式年遷宮」により賜ったご本殿が立派な「加良比の神社」さんは、倭姫命さまが、天照大御神さまを四年にわたりお祀りされた、元伊勢の伊勢国「藤方片樋宮」といわれています。
倭姫命さまは、この「藤方片樋宮」にいらっしゃるときに、「阿佐加(あさか)」(安佐賀)の峰の荒ぶる神、伊豆速布留神(いつはやふるのかみ)が、和らげて鎮まるようにと、阿佐加の峰に、この荒ぶる神をお祀りする神社をつくり、そこで祈願の儀礼をおこないます。
そして、荒ぶる神をお鎮めになった……と、いわれる神社もあるのです。
三重県松阪市の阿射加神社(大阿坂)さんと、|阿射加《あざか》神社(小阿坂)さんです。
JR津駅から紀勢本線で松阪駅へ。そこから車で街並みを抜けて山の麓の、阿射加神社(大阿坂)さんへ。
こんもりと緑が繁る鎮守の杜の入り口の鳥居。
まさに現世との境のようです。
樹々が繁る参道を歩いていると、黒いかげろうたちが飛んでいます。
苔むした石段を昇り境内へ。
厳かな空気に包まれながら、さらに石段を昇り、拝殿で、お参りします。
樹々の間から見える、神明づくりのご本殿。
ご祭神は、猿田毘古大神さま。
そして、倭姫命さまが和らげお鎮めになった、伊豆速布留大神さま。
そして、龍天大明神さまとあります。
このお宮の隣には、この龍天大明神の起源とされる宮池が広がっていました。
猿田毘古大神の故郷で海だった?!
で、で、猿田毘古大神さまがお祀りされていますが、どうしてだかわかります?
『古事記』の神話の物語。
神代の神さまのお話しで、天照大御神さまの孫神、邇邇芸命さまの、天孫降臨の道案内をされた、道開きの神さまの、猿田毘古大神さま。
大仕事を終えられて、「故郷に帰る」ことになり、天宇受賣命さまと、故郷の伊勢の国へ帰られたのです。
そして地元の「阿邪訶」の海に潜っているとき、比良夫貝に挟まれて、海に沈み亡くなられます。
「阿邪訶」……あ・ざ・か……
そう、阿射加!!
この阿射加は、猿田毘古大神さまの、故郷であり、遥か神代の頃には、この阿射加のあたりは、海だったそうです!!
ご巡幸の旅で、嬉しいのは、神さまと神さまのつながりや、こんな発見があることですね(^^)
と、長くなりました。
次は、もう一つの阿射加神社(小阿坂)さんへ向かいます。
―次回へ
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