依存と自立と協力
「依存はしてはいけない」と最近チラホラ見かけます。
辞書的な意味での依存とは、
依存…[名](スル)《「いぞん」とも》他に頼って存在、または生活すること。
「そういえば、これは依存ではないか?」と感じて考えてみると、ありました。ケースを二つ紹介します。
彼1…「疲れた、我慢の限界」と言ってフラれる
この件は、私は「ワガママしすぎたんだ」と反省しました。でもここにも依存は潜んでいたなと感じました。私はこの彼に依存していました。彼“しか“私のそばにいてくれる人はいない、彼“ほど“私の事を理解してくれる人は“いない“と。きっとこの依存も彼を疲弊させた一つの理由だったんだと今では思います。
これは私が依存から抜け出せなかったケース。
彼2…環境の変化と遠距離でギスギスし、居心地が悪くなり振った
私が嬉しかったり楽しかったり悔しかったりした感情と状況と、相手の感情と状況が噛み合わず、私は彼に連絡したいと思わなくなり、彼は私に対して心配と不安とイライラが募りました。私の環境を思わしく思ってないというか、彼のゴールと私のゴールが異なり始めました。
そして話をした時、弱みをさらけ出せるのはお前“しか“いないと、自分の生きる世界の中心だったと。
思い返すと、私のことを沢山してくれて、私はどんどん自立から離れていっていたように思います。
私は社会人デビューの時点で、自立と向き合って依存から抜け出したんだと思います。
こちらは共依存していたケース。
依存って麻薬依存とかをイメージして、やばいもの、遠いものと感じる方も多いと思います。ですが、このように恋愛面では、耳にすることも体験することも多いように感じます。
そして、恋愛面での依存は人によってはそれを良しとしてしまうのではないかと思います。
好きで大切にしたいという想いが知らぬ間に依存に変化していき、気がついたら視界を狭め、行動を規制しているような気がします。
私が噛み砕く「依存」とは、
①周りが見えなくなる
②自分の人生を生きなくなる
③相手がいないと生きていけないような気持ち
これって恐ろしくないですか?
自分が自分であることを放棄してしまっているように感じます。
それはそれで自分なのかもしれませんが、あまりにも相手にフォーカスしすぎていて、周りがあたかもどうでもいいかのようで。
でも社会は色んな人で構成されていて、相手がよければそれでいいとはならないはずなんです。
だから、「依存はしてはいけない」に繋がるんです。
じゃあ依存の反対は?
辞書的には「自立」です。
ただ、自立って簡単に言うけど、どういうこと?極端では?と思うんです。
頼り切っていたのにいきなり1人で生きていけなんて酷すぎる。と思うんじゃないかなって。
そこで調べると面白いものが。
「依存の反対は自立ではなく、依存先を増やすこと」
https://www.univcoop.or.jp/parents/kyosai/parents_guide01.html
(こちらの記事が参考)
なるほど〜。たしかに。腑に落ちました。
社会って色んなところにコミュニティがあって、それはパートナーだけじゃないよねって事ですよね。
パートナーしかり、友人然り、仕事然り、趣味然り…なんです。
○○無しでは生きられない!×3だったら、結局一個無くなってもあと2つ砦は残されている事になります。
頑張る事、取り組む事が一つじゃないから、それが万が一ダメになったとしても、他で気持ちを紛らわせるし、カバーできる。
これって依存じゃなくない?と!
そして、もう一つ私の理想である、依存関係ではない関係が、「協力関係」です。
辞書的には、
協力…[名](スル)力を合わせて事にあたること
高校時代、既婚の女性教師に結婚した理由を訊ねると「1人でも生きていけるけど、2人だったらより豊かになれると思って」と返ってきました。
授業の雑談でこの話を聞きましたが、未だに鮮明に覚えているほど、「あぁ理想的だ。こういう結婚がしたい。」と思いました。
これこそ自立ですよね。相手がいないと生きていけない程、経済的にも精神的にも社会的にも、柔な人になってはいけない。自分の人生は自分で楽しく豊かに充実させなければならない。それが責任。
自分の人生を生きる為にも、どんな自分でいたいか考えること、そしてひとつに依存しない事を大切にしたいと思います。
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