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#24 “自分の言葉で書きたい”のに書けないライターが抱えていた心の矛盾

この連載は、長年生きづらさを抱えていた私(KOTOBUKI)が、セラピストのKANNA(かんな)さんとの出会いをきっかけに、初めて自己の内面と深く向き合い、本来の魂の道を生き始めるまでの完全実話の手記――。

第一チャクラに、“黒いドーナツ型”をした負のエネルギーががっちりと張りついていた私。

サイキック能力のあるセラピスト、KANNAさんの透視によると、その負のエネルギーは、高校受験に失敗したときの“悲しみ”から生まれた、強烈な「勝ち負け思考」であることがわかった。

でも、KANNAさんとの対話の中で、「勝ち負け思考で生きるよりも、本来の魂の自分で生きるほうが、心の底から幸せを感じられて、なおかつ現実面でも活躍できること」を知った私は、どんどん気持ちがほぐれていき、最終的にその苦しい思考を手放すことができた(詳しくは前回のお話↓↓)。

さて、この「勝ち負け思考」がなくなったことで、その後の生活にどんな変化が生まれたのだろうか? 



友達の「幸せ投稿」に動揺しなくなった


KANNAさんとのセッションを終えて数日後のことだった。

ふと、何気なくFacebookやインスタグラムを開くと、これまでと明らかに見え方が違うのを感じた。

友達の幸せそうな写真とか、仕事がうまく行ってる投稿が流れてきても、「ふ~ん、そうなんだね」とサラっと受け流せる自分がいるのだ。むしろ、純粋に「素敵だなぁ」と思った投稿はふっと笑顔になって、思い切り「いいね」を押していたりもする。

あれれ、前はうまく行ってる人と自分を比較してズーンと落ち込んだり、「この人、単に幸せアピールしてるだけでしょ」とひがみ根性丸出しだったのに、そういうマイナス感情がほとんど出てこない。

「ほかの人の投稿(または動向)に左右されないって、なんて清々しいんだ!」と、ちょっと感動してしまった。

これって、10代の頃から苦しめられてきた「勝ち負け思考」(黒いドーナツ型のエネルギー)を手放せた結果なんじゃないかと思えた。

それだけでも、ずいぶんと気持ちが軽い。

人との比較意識・優劣意識に、これまでの私の人生、だいぶ支配されていたんじゃないかと思う。

その視界の曇りがパーッと晴れたことはよかったのだけど、私にはまだ、気持ちがズーンと沈み込んでしまう場面があった。

それは、ライティングの仕事を抱えているときだ。

原稿の締め切りが近くなると、「あ~原稿を書くの嫌だな~。気が重たいな~」と憂鬱になって、サッと執筆に取りかかれないのだ。朝、起きた瞬間から、ブルー。20年もライターの仕事をやっていながら、毎度この調子だ。

ちょうどそのときは、出版社からの依頼で、書籍の執筆の仕事を抱えていた。自分の本ではなく、とある専門家の先生の本を代筆する、「ブックライティング」の仕事だ。

このブックライティングという、著者に代わって本を執筆する仕事は、私にとっては一つの作品(実績)になるし、世の中に役立つ考えや知恵を多くの人に伝えられる自負もあった。

それにぶっちゃけ、運よく売れたりしたら、著者に入る印税の一部がライターにも分配されるから、ちょいと「夢」もあったりする。

だから、ついつい仕事を引き受けてしまうのだけど、いざ執筆作業に入ると、決まってこういう感情が湧いてしまうのだ。

「なんで私は、私じゃなくて、誰かの言葉を書き続けなきゃいけないんだろう……」

自分でも偉そうだなぁとか、おこがましいなぁ……と思いつつも、いつまでも誰かの言葉を書き続けなきゃいけない状況に疲れ果ててしまっていた。

自分の言葉で書きたいのに書けない矛盾


自分の思いは、言葉は、一体どこに出せばいいんだろう? どこにも出せやしないじゃないか!と、書くたびにフラストレーションが溜まってしまう。

私には結婚して20年になる夫がいるのだが、一番身近な夫に愚痴を漏らすと、決まってこういう答えが返ってくる。

「仕事なんだから、割り切ってやればいいんじゃない? お金もらえるんだし。自分の書きたいことはブログにでも書けば」

淡々と物事をこなせるタイプの夫ならではの、ごもっともな意見だ。私自身は「仕事は仕事」と決して割り切れるタイプじゃないけど、それも一理あるので、ライター業をしながら、ブログやSNS発信に力を入れたこともある。

でも、ついつい仕事が手一杯になると、そちらのほうにかかりきりになり、自分発信のブログがおろそかになってしまう。

何より、ブログで伝えたいことの中心軸が定まらず、次第に何を書いたらいいのかわからなくなってしまうのだ。そのうち、書きたくなくなって、やめてしまう始末……。立ち消えになったブログはこれまでに4つある。

本当は、自分の言葉で書きたい。
だけど、自分の内側から言葉が出てこない。


なんともしがたい矛盾に、長い間苦しみ、悶えた。

こうした矛盾や、長年ライター業に苦しんでいたことを次のセッションでKANNAさんに打ち明けると、驚きの言葉を投げかけられた。

ライターに向いていないという衝撃の事実


「KOTOさんは、そもそもライターのお仕事に向いていないように感じるんですよね。実は最初にお会いしたときから、『なんでKOTOさんはライターのお仕事をしているんだろう』って不思議に思っていたんです……」

「え、ええ~!? やっぱりそうなんですか(笑)」

「たとえば同じ書く仕事でも、出版社の意向で依頼される企画より、KOTOさん自身が自ら企画した本や記事のほうが、『書きたい!』って思えるかもしれませんね。それは、KOTOさんの魂の性質上、『自分を表現したい』という思いが強いからだと思います」

KANNAさんのその言葉に、心の奥底から「そうそう! そうなのよ~!」と、叫ぶ声が聞こえた。

これまで誰にもわかってもらえなかった思いや苦しみを初めて理解してくれる人が現れて、心の奥深くから肯定された気持ちになった。

「自分でも不思議なんですけど、なんで自分に向いていない仕事を20年も続けて来られたんですかね??」

KANNAさんにそう問いかけると、こんな返事が返ってきた。

「理由はいくつかあって、一つは、KOTOさんの書いた記事が出版社から認められて、次々と依頼されることにうれしくなってしまって、そこに自分の“存在価値”を感じてしまったこと。

もう一つは、生き方を根本から変えるために、自分に合わない仕事をあえて自分に課したようにも感じられますね」

な、なんですと~!? 「そんな深い理由があったのか」と驚くと同時に、「だからこんなにも苦しかったんだ」と妙に納得感をおぼえた。

確かに、私は人から求められるとついうれしくなって、有頂天になってしまうところがある。自分の思いを貫くよりも、相手からの称賛を得ることのほうに価値や喜びを感じてしまうのだ。

それって、自分の価値を自分で認められていないからなのかなぁと、ふと思った。

そして、2つ目の理由も納得だ。

あえて苦しい道に行かなければ、自分が本当に望む行き先に気づけない。

この日々の苦しい感覚や矛盾が、私に「生き方を根本から変えようよ」「魂が本当に望む道に進もうよ」と、教えてくれていたのかもしれない。

「以前にもお伝えしたんですけど、KOTOさんは魂の性質的に、場全体を自分のエネルギーで染める力があるので、本来は人前で講演したり、楽しませたりするのが向いているんですよね。皆を光と陽のエネルギーで染めるような、そんな明るいパワーを持っている人ですよ!

でも、だからと言って、今すぐライターの仕事をやめて、いきなり魂の望む道に進むのは現実的に難しい部分もあると思います。なので、まずはKOTOさん自身が『これなら楽しく書けそう』と思える仕事だけを引き受けることから始めて、その後少しずつ新しい仕事の仕方へシフトしていくといいんじゃないでしょうか

「な、なるほど! それなら今の自分にもできそうな気がします!」

魂の望む新しい道に、いきなり挑んでいくのは、相当無理がある。私が無理なく、負担なく、ソフトランディングする形を提案してくれたKANNAさんのアドバイスは、とても現実的だと思ったし、「これならできるかもしれない」と、すごく勇気づけられた。

その頃に書いた、殴り書きのノートがこれだ↓↓

ここには、こう書かれている。

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なんとなく人の本かくのは最後かもしれない。
これが最後の仕事だと思ったら、全力でやろうと思った。楽しもう。
前よりも気が楽になってる。自分にやさしく!
=========

確かに、このときの私は、ほかの著者さんの本を書くのはもうエネルギー的に限界だった。短い記事は書けても、1冊10万字も書く本の仕事は気力がもたないかもしれない。

だから、これからは自分の本心を一番に大事にして、自分が苦しいと思うことはやめようと決めた。

まずは、自分にやさしく!

それが私本来の魂の道に進むための、最初のステップだと感じた。



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