KinKi Kids理論
自分で言うのもなんだが、「未練」と言うものを持っていない。
昔の彼氏が他の女の人と手を繋いで歩いていても、昔好きだった人がベビーカーを押して歩いているのを目撃しても全然傷つかない。むしろ「幸せに過ごしてるようでよかった」と本気で思う。
私とは合わなかったから別れたけど、私には釣り合わなかったから付き合えなかったけど、でも彼は彼、私は私。お互い違う世界で、各々好きなことして好きに暮らして、ハッピーだったらそれで最高じゃないか、と思う。
だからいつも変な未練がない。我ながら、自分は潔い女だと思う。
人は、人と向き合った分だけちゃんと大人になれるし、愛した分だけちゃんと何かが手に入ると私は思う。
同じ分だけ愛が帰ってくるわけではないけれど、真っ直ぐ丁寧に人のことを愛せたら、それはいつか自分にとって大切な思い出になる。
少し元気のない時に火をつけるアロマキャンドルとか、寂しい日に開く卒業アルバムみたいなもので、
ちょっと自信がない時に思い出せば、私はこんな風にやり切ったことがあるのだからきっと大丈夫!と思えるようになる。
愛した分、その人から愛が返ってこなくても、自分のことを愛せるようになれる。
だからこそ、人と向き合うことや、真っ直ぐ愛することが大切なことになるのだと思う。
スマホ一つでいくらだって出会いや繋がりができて、悪いことをしようと思えば無限に、しかも簡単に出来てしまう世の中なので、
つい魔が刺したり、
流されたりしてしまう人は多いと思うけど、
そうやって浮気したり、隠れて元カノと繋がっていたりすると、いざ本当に好きな人ができた時、その人のことを信じられなくなってしまう。目の前にいる人っていうのは鏡だ。
だから全部自分に返ってくる。
その結果、その人を束縛したり、過剰に連絡したりして、不幸のループが生まれる。
そういうチンケなおままごとなど、必要ないのではないだろうか。一体、それの何が楽しいのか。
幸せになりたいのなら、清廉潔白を目指すべきだ。
なれなくても、なる努力は絶対した方がいい。
後ろめたいことが一つもない人生なんてそうそうないと思うけど、
仮にもし、後ろめたいことが何もない生き方が出来ているなら、それはきっとそれだけで幸せなことだと私は思う。
モテたいとか愛されたいとか言ってるうちは、人間はまだまだ小僧なのだと思う。
35歳の私はそう思う。
35歳になって思うのは、
モテたいとか愛されたいとかはもうどうでもよくて、そんなことより自分以外の誰かのことを愛せたら、それでもう100点。
そんな気がする。
愛されるよりも愛したいのだ。多分。人によるのかもしれないけど、私はそう。
愛されるより愛したい。
まさにKinKi Kids理論である。
誰かに好きでいてもらうことよりも、誰かのことを好きでいる時の方が、孤独じゃないし、満たされる。
その「誰か」をちゃんと大切にできるように、私たちは嘘をついちゃいけないのだ。
自分のこと愛してないと、誰こともちゃんと愛せないし、嘘ばっかついてせこいことしてると、人生はつまんない白黒になる。
私は自分の人生を、毎号フルカラーの巻頭カラーで見ていたい。
白黒つけられないグレーな部分さえ愛したい。つまんない日常も後からでいいから色をつけたい。極彩色でガンギマリのめちゃくちゃ楽しい人生を送りたい。
だからつまんない嘘をつかないように、
ちゃんと人と向き合って、
自分ともちゃんと向き合って、
そういう地味な事をコツコツ積み上げるのだ。
全部が全部、完璧なんて出来なくてもいい、
人と向き合う事を恐れずにいたい。
(陰キャだけど……人と話す時どもっちゃうけど……、それでも頑張るんだよ)