幸せとは、選択する権利があること
先日とある投稿で、
「幸せとは、選択する権利があることだ」と書かれていた。
幸せの定義は人それぞれだけれど、私の中では一番合点がいったというか、共感した定義だった。
「選択する権利がある」というのは、つまり「自由」があるということだ。
裏を返せば、不自由が不幸せを感じさせるということ。
やりたいことができない、言いたいことが言えない、
行きたいところに行けない、会いたい人に会えない。
そんなとき確かに私は、とても不幸せを感じる。辛い。
自分を不自由にするものからはできるだけ離れて、
自分の思うように進みたい。
そして「選択する権利がある」ということは、
今自分が置かれている状況は自分の選択によってもたらされたものであり、
これからの選択によって状況を変えることができる
と思えることだ。
例えば今通っている学校が辛かったとしても、仕事が辛かったとしても、
それは自分が選んだから行っているだけで、
嫌になったらいつでもやめられる、と思うことができる。
逆にもし、私にはそこしか選択肢がないから仕方なく行っていて、
いつまでもここにいなければならない、と考えたとするならば、
とてもやってられない。
たとえ同じ状況であったとしても、
感じる幸福度には結構な差が出るのだ。
私が正社員として働いていた頃、責任感が故に重圧に押しつぶされながら、
「毎日必ず行かなければならない」
「やめてはいけない」
と思って過ごしていた。
忙しさからも緊張やストレスからも逃れることはできないし、
これから先もずっとこの状況を続けるしかない。
そう考えていたから、押しつぶされてしまった。
今、正社員ではない働き方をしていて、
毎日を仕事ばかりにすることもできるし、休みを増やすこともできる。
新しい仕事を始めることもできるし、辞めることもできる。
最近忙しくてしんどいな、と思うことがあっても、
「私がそうすることを選んだだけ」だと思うと頑張れるし、
逆に休みを増やしたことで収入が減っても、
「私が時間を優先したからだしな」と思える。
今月は頑張りすぎたから、来月はゆっくりめにしよう。とか。
ちょっと刺激が足りないし、日々が空虚に思えてきたから、新しいことを始めてみよう。とか。
自分で自由に決めて、毎日を生きている。
この毎日は不安定で、先が見えない。
かといって、先の見える道を歩んでいたとしたら、それはそれで違うしんどさがあることもわかっていて。
だから。私は今のところは。
自由を選択している。
この毎日を、なかなか幸せだな、と感じながら過ごしている。
27歳になって、今年の目標を決めようと思った。
「抗う勇気と憧れに向かう行動力」
流れに抗っていることに不安になることは、すごくある。
でも私はこれまでの人生で、抗ったことで後悔していることなど何1つない。
抗って、でも、何かしよう。
自分の憧れる自分に少しでも近づくような何か。