ことばとはなうた
HSP特徴を持つ私のあれやこれやをまとめています!
不登校時代のエピソードに関する記事を集めています。
経験やエピソードを、年代別に記録しています。
日々の中で、ふと気づいたことや思ったこと、考えたことをゆるーく紹介している記事を集めています。
初めまして!ことばとはなうたです。 私は関西の大学・大学院を卒業した25歳(追記:現在は27歳)です。 大学・大学院では幼児教育や発達心理学などを主に学び、幼稚園教諭一種免許及び保育士資格を取得しています。 現在はHSPやギフテッドについての勉強を進めています。 この勉強をしていく中で、これまではぼんやりと持っていただけの、「自分はHSPなのではないか」という疑念が、確信に近いものになりました。 また、ギフテッドである可能性もあるのではないかと感じながらも、どちらとも言
少し前。 すごく疲れてベッドに入って電気も消して、今まさに眠りに落ちるぞ、、!っていう境目のまどろみタイミングで、「生きる意味ってわからないよね」と話を振られた。特に深刻なトーンでもなくさらりと。 いや、それ今急に話し出すのか。とちょっと思ったものの、まあ確かに寝ようとする瞬間って物思いに耽ったりするよなー、今の私が珍しくほんっとうに眠いだけで、私もよくあるわ、そういう感じになること。とぼんやり思って、回らない頭で話を続けることにした。 「生きる意味」とか「自分は果たして
人と関わる時間と、1人で過ごす時間。 人間関係に使う頭と、何かを吸収するのに使う頭。 私はどちらかに全振りしがちで、良い塩梅でバランスを取るのが苦手だ。 不登校〜高校時代 不登校だった頃、私が関わる人といえばほとんど家族だけだった。 学校に通っていた期間も、ほんの数少ない友人と一緒にいた期間がある、というくらいで。多くの人と関わったり、仲を深めようとか人のために何をしようとか、考えることは少なくて。 基本は、家で1人。兄と2人。夜は家族みんな。 ドラマやアニメ、N
私は嘔吐恐怖症だ。 そして小食で、好き嫌いも多いし、食べるのが遅い。 それだけでも結構生きていくのに不便だなあと思っていたのだけれど、最近その要素が増えてしまうような恐怖を感じてしまった。 これまで 嘔吐恐怖症であることが生活に影響を与えていた部分を考えてみると。 ・吐くことを想像してしまわないよう、視界に入れないようにする ・ご飯を食べ過ぎたり、お酒を飲んでいるときに、ほんの少しでも気持ちが悪く感じたらやめる ・少しでも傷んでいる可能性があるものや、何が入っているか明
これまでにも記事で書いてきたけれど、私は母親が好きではない。 兄とは仲がいいし、父親のことも特に嫌いではないのだけれど、どう頑張っても母親とは相容れない。 そう思いながらも今までずっと、関わりを完全に断つことはしなかった。 まあこれまでだって、途切れず届くラインに相当冷たい返事ばかりしていたし、返事さえしないことも多かったのだけれど。 その程度の抵抗で関わってこなくなってくれる母親ではなかっただけなのだ。どんなに毒を吐いたって、母親にはてんで効き目がない。 どうして私
不登校のお子さんを持つ保護者の方にとっても、不登校のお子さん自身にとっても。学校に復帰できたらいいな。と考えている場合。 それはいつがいいのだろう、、?できるだけかかるストレスや不安が少ないように、今すぐじゃなくてタイミングを考えたほうがいいのかな?などと考えることもあるのではないでしょうか。 そこで今回は、 不登校だった私自身が実際どのように再登校したのか、どう考えていたのかをベースに、学校復帰の際の不安やストレス、タイミングについて書いてみようと思います! 学校復帰
自由って不自由なんだよね と誰かが言っていたのを聞いたことがある。 何も制限がない中で「何をやってもいいよ!」と言われると、逆に何をやればいいのかわからなくなってしまう。 「なんでもいいから話して」と言われると、なんの話をすればいいかわからなくなって、なかなか話し出せないものだ、と。 自由を愛する私にはあまりピンとこなかったのだけれど、最近になって「確かにそうなのかもしれない」と思うことがあったので、書いてみようと思う。 この記事とは矛盾するようで矛盾しない、「選択の
適応障害になって子ども園を退職した話②の続き記事です! 前回記事はこちら→ 今回は引き続き、子ども園で感じた違和感やストレス、出来事。 特に園の(理事長の)異常な神経質さと、勤務時間に関することについて書こうと思います! 入園式準備 入園式は入社した次の日とかだったかな、、。 私たち新任の初めの仕事は、入園式に向けた園内の準備だった。 普段保育室として使っている大部屋の棚や机を移動したり、掃除したり。 その中で私は、大部屋の床に升目状にテープを貼って、保護者の方たち
「適応障害になって子ども園を退職した話」で記事を更新しているところで、日々の嫌なところばかりを書いてしまっているのですが、、、 こんな環境の中でも 子どもたちは可愛いのです!!! ほんっとに!!! それも書きたいんです!!! なのでこの番外編では、 子どもたちについてちょっと書いてみようと思います! 可愛いんですよ。すごくすごく。愛しいのです。 もちろん、すごく手のかかる子や、泣いてばかりの子、先生たちを舐めきっている子もいて大変でしたが笑。 一生お昼寝せずに
適応障害になって子ども園を退職した話①の続編です。 前記事はこちら→ 前回の記事を書いてから、なんと1年近く経ってしまいました。 今から思うと、まだ1年前は細かく振り返るのがしんどかった。 ブログを書くために内容を整理しようとしても、どう書けばいいのかわからなくなって、頭の中がぐちゃぐちゃして。 そして今ならもうしんどく感じないことに気づいて、少し嬉しかったり。 やっぱり、自分ではもう過去のことにしたつもりでも、回復するには時間がかかるものなのだなと思います。 と
私は現在、複数の仕事を掛け持ちしながら、柔軟な働き方をしています。 もちろんこの働き方にも、メリットもあればデメリットもある。 この記事では、私の働き方について書いていこうと思います! 前回記事はこちら! 子ども園を退職してから、 どこかの正社員になることはせずに働くことを選び、はや1年半。 今している仕事は、ギフテッドや不登校などの子どもたちのサポート、PR事業、そしてパン屋の製造・販売員。他にも期間限定で唐揚げを売っていたり、神社のお手伝いをしていたり。 色々な事
私がここ数年で強く自覚するようになったのが、 「私は約束を破るのがとても苦手だ」 ということである。 こう聞くと大体の人は「約束破らないのは良いところじゃん」といってくれるのではないかと思うし、自分でも、そうあるべきだと思っている。 そうあるべきだと、思いすぎている。それが問題なのだと思う。 例えば友達と遊ぶ約束をしたとする。 しかしその日になってみると体調が悪い。気持ちがしんどい。 もしくは、約束が決まった後にものすごく都合が悪くなってしまった。 そんなとき。
親は親で、子どもは子ども。 全く別の存在だ。 私は、「血は争えない」という言葉が嫌いだ。 というより私は、 血は争うよ。血に抗うよ。親に似ててたまるか!!と思ってる。 「血は争えない」とは、 「子どもが父母から気質・性向を受け継いでいることは否定しようがない」 という意味だ。 もちろんそれもわかる。生物学上、否定はできない。 でもだからと言って、子どもの性質は全部、親のどちらかから遺伝したものだと決めつける会話には嫌気が差す。 「〇〇の大雑把なところはお母さん似で
私は子どもの頃、教師というものが嫌いだった。 学校というものに馴染めない、弱い、そんな子どもの気持ちのわからない、わかろうともしない教師たちが嫌いだった。 そんな私は教育の道に進んだけれど、結局やっぱり、学校の先生になろうとは思わなかった。 教師というものは得てして、学校に対して良い感情を持っている人間ばかりがなる。学校という環境に適応することのできた人たち。 当たり前と言っちゃ当たり前なんだけれど。 だから、所詮人間は、自分の持ち合わせていない感覚は理解できないか
先日とある投稿で、 「幸せとは、選択する権利があることだ」と書かれていた。 幸せの定義は人それぞれだけれど、私の中では一番合点がいったというか、共感した定義だった。 「選択する権利がある」というのは、つまり「自由」があるということだ。 裏を返せば、不自由が不幸せを感じさせるということ。 やりたいことができない、言いたいことが言えない、 行きたいところに行けない、会いたい人に会えない。 そんなとき確かに私は、とても不幸せを感じる。辛い。 自分を不自由にするものからはで
小・中と不登校だった私は、私は極度の人見知りで無愛想で、コミュニケーション下手だったわけだけれど。 社会復帰した高校生の時、思っていたよりちゃんと、友達ができた。 今回はそんな高校時代の友人関係について書いていこうと思います! 高校入学してすぐ、1人仲のいい友達ができた(Kちゃんとしよう)。 私から話しかけたわけではなくて、いつのまにかグイグイ話しかけてきてくれた子だった。 私はすごく勉強にやる気があって、向上心が高かった。 そこが似ていて、たくさん話しかけてくれたのか