【患いの根源】誰のためにもならない思考の跡
少し連載タイトルを変えたのは、以下の文章が元々不安定な状態で困惑に任せて30分で書き上げた2000字のメモだからである。
現在、とうとう僕は入院した。(転地療養としての任意入院を、結果、早めただけなのだが)
それが1週間前の今日である。診察日に突然入院する運びとなり、驚き、2時間かかって荷物をまとめ、激流のように説明を受け、眠った日。
その次の日に、前日の入院前診察において口頭で自分を言えなかった僕は、Wordに書き残して病棟主治医に渡した。
前置きが長くなったが、要は蜘蛛の巣の中にも記録として晒しておこうと思ったのだ。
(ワンクッションのつもりで、昨年度のプーさん展の写真を置いておく。プーさん……やはり可愛いなぁ……)
何がつらくて病院にかかるのか
思考が止まらない。強制的に眠りに入るまで常に考え事をしている。
内容はその時々の刺激(五感)に関すること。無音で何もしない状態であれば、自分という存在について考えだしてしまい、曖昧な過去の記憶を何度も分析し、第三者の感覚から当時の言動の正解を何度も検証してしまう。
僕は客観視がしたいわけではない。自分の中からでしか外側を見ることが出来ないのだから、究極の主観(外界と自我の境界がほとんどなくなったままで、視点は自身から外へ向かっている)を身に着けたいだけだ。
世界で一番自分が大好きで大嫌いだ。それなのに「実体はあっても実存を感じられない」のでそのままの自分で生きることに必要性を感じない。
毎日をこなすのが無意味だと思う。だからといって死ぬ労力もかけたくない。首吊りなんて汚いし、失血死も薬物も致死量まで至るのが大変だ。人間の体が最後の生き物の本能としてなかなか死ににくいのを理解しているから、そんな効率の悪いことは絶対にしない。
なぜ自傷をしていたかといえば、そんな自分が大嫌いだから。嫌いなやつをいじめているに過ぎない。一方で大好きだから、心地よいこともしたい。自分は血の滴る生の切り傷を見ることで多幸感を得られる。だから自分いじめも多幸感も摂取できるリストカットを選んだ。オーバードーズは、強制的に自意識を手放せる上に、体感の時間をショートカットできるので選んだ。
つまり自死行動ではない。希死念慮ではなく、必要性を感じないので消えたいだけだ。死にたがりと思わないでほしい。人間という形状(器)に僕という意識体が入っていること、が違和感で、ここではないどこかに還りたがっているだけだ。
よって、〈生きる〉にまつわることを積極的にする気が起きない。特に社会規範、一般的とされる心の底から使命だと思えることでないことをやってその時間の対価に金銭を受け取って生活をすること、そんな生き方を考えただけで吐き気がして死にそうになるくらい受け入れられない。大人になったらなぜ生活の主軸がそのような仕事になってしまうのか。(頭で理解はしているが、それを普通として生きている人の方が僕からしたら狂っていると思う)
自身の努力が人間の直接的反応として目に見えた上に評価されるような業種であれば、金銭のための仕事ではないのでまだ許容できる。また、仕事上の“わたしという人物”も固定できるので安定する。
その“わたしという人物”である間は、相手に対してどんな嘘もついていることにならない。たとえ僕と違うこと言ったり思ったりしても、それは僕ではないから苦しくない。
研究がなぜ楽しいかといえば、僕のままでやっていても誰からも文句を言われないから。楽しいならばそれをやり続ければいいというが、僕の根本は今の現代社会に関わって生きることを真っ向から怪訝し、寄り添う気がないので、続けてしまうと多数派の中で生きることは不利になっていく。
故に、擬態する手段が欲しくて通うことにしたのだ。
おかしな思考を持っていようが、生きることに積極的になれないままでいようが構わないけれど、
せめて、多数派の中にいる間は、回りすぎる思考のために苦しくなって行動が止まったり、自分と一般との差のせいで相手が理解できなかったり、訳も分からず苦しくなって大声で泣きわめきそうになる自身一人で押さえつけたり、見捨てられる恐怖に震えて大事だと思える他人を束縛しなくて済むような人間になりたい。
入院でめざすこと
社会の目を気にせずに自分の思うままに過ごしつつ、自分にとっての限界や努力が青天井なので、休息するとはどういうことなのか知ることが出来ればそれでいい。(閉鎖のままでここにいる意味が正直分からないが)
その他備考
・母との関係は完全に悪いわけではないと思う。世代の差によるものだと思うこともある。やや過保護気味ではあるが。無償の愛を飢渇し、大事だと思える他人を束縛しようとしてしまう原点はここにあると思うが、両親の育て方は愛にあふれていたはずなのに(今頭では理解できる)自分の中に実感が全くないので、その齟齬に悩んでいる。
・マイナス思考はよくないと、自分の認知をずらす訓練は何度も自分でしてきた。その結果、自分のことが世界で一番大好きで大嫌いな存在であると現時点で観測することが出来るようになった。
・話ことばだと、脳の中に渦巻く思考を相手に伝えきれず、止まってしまう(何を取り出せばいいか迷うから)。なので、このようにして文字に起こした書きことばの方が僕は自分を伝えられるし楽である。問診で伝えられないことをこのようにまとめてみた。