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通園路の風景

息子が保育園に通い始めてから、今月末で丸1年になる。この1年間、同じ通園路を一緒に何度も往復した。自転車で片道7~8分という短い距離なのだけど、道すがら息子が目を奪われるものは、それはもう目まぐるしく移り変わっていった。

入園当初は、たしか犬に夢中だった。犬を見かけるたびに「ワンワン!」と皆が振り返るほどの大声で叫ぶので、こちらも「ワンワンやね~かわいいね~」と飼い主さんを意識して声を掛けたものだった。生まれてこのかたペットを飼ったことがなく、動物への関心が薄かった私は、それまで近所を歩いていても、犬の散歩はまったく目に入っていなかった。それが今では、犬好きになったとまではいかないが、見かければ温かい目線を向けている自分がいる。

次に興味を示していたのが、自動車とバイク。目の前を通るたびに、「ぶーぶー!」「バイクー!」と大興奮だった。バイク熱が絶頂の頃は、よく前を行くバイクに「まてー!」と叫んで、追いかけさせられた。道路脇に自転車を停めて、しばらく車やバイクの往来を眺め続けたこともあった。走っているものにも停まっているものにも反応するので、どの家の前に息子の食い付く自動車やバイクが停まっているのか、だいたい覚えてしまった。

その次は、電車。ところどころで遠くに阪急電車の線路が見えるのだが、電車が通るたびに「でんしゃー!」、途中からは「はんきゅーでんしゃー!」と大はしゃぎ。一時期は、見えなくても音が聞こえただけでいちいち「でんしゃー!」と反応していて、視覚も聴覚もフル稼働しているんだなぁと感心させられた。そして、近くでこんなにもひっきりなしに電車が行き来していたのかと改めて気付かされた。

次はたしか、お年寄りの人たちに食い付いていた。保育園で老人ホームとの交流があるので親しみを感じるのか、道行く人を指差して「おじーさん!」「おばーさん!」とよく叫んでいた。明らかに高齢の、おじいさんおばあさんという自覚がある方ならいいのだが、たまに微妙な年代の方に向かって「おばーさん!!」と大声で叫んだりして、冷や汗をかいたものだった。うちの地域は比較的子育て世代が多い方だと思うが、それでもやっぱりお年寄りが多いなぁとしみじみ思ったりもした。

それから、月。絵本の影響で、ある時から空に目を向けて月を探すようになった。「おちゅっさま」と発音はたどたどしいが、見つけるのはお手の物。満月のときは「まんまる!」「ほんまや、まんまるやねー」と喜び合い、見えないときは「おちゅっさま ないねー」と言うので一緒に探したりした。暗い帰り道だけでなく、登園時、朝の空にうっすらと浮かぶ月も目ざとく見つけて教えてくれた。それまで、夜はまだしも、明るい時間にそこまで月を意識したことはなかった。

そして、興味は一気にはたらく車たちへ。大通りに出ると、いろんな種類の車が通る。「トラック!」「ごみしゅーしゅーしゃ!」「カーキャリア!」と、日を追うごとに反応する種類が増えていった。工事現場を通るとストップをかけ、身を乗り出してクレーン車やショベルカーなどの重機を眺めていた。ごみ収集車の作業員の方や、出動中ではない消防車に乗っている隊員の方が、息子の熱い視線に気付いて笑顔で手を振ってくださることも何度かあった。近所を走るごみ収集車には色が3種類あることや、ショベルカーなどを載せた重機運搬車なるものがけっこうな頻度で通ること、近所の会社のロゴが付いた送迎バスが毎日決まった時間に走っていることなどに初めて気付いた。ミキサー車とタンクローリーの違いも初めて知った。

その頃から、「こっちいく!」と進む方向を指定することが増えた。最初のうちは、いやいや急いでるからと最短コースを突き進んでいたが、「ちがうー!あっちー!!」と泣きわめいたり、園に着いても怒りが収まらず降車拒否したりして、結局は時間のロスが大きくなることを学んでからは、遠回りでも息子の「こっち」にできるだけ従うようになった。そうやって通園路の幅も広がっていった。

そして目下、はたらく車と並行して関心を向けているのが、信号機。少し前まではこちらから一方的に「赤やから止まるねー」などと声を掛けていたが、おそらく保育園でもお散歩中に教えてもらったり、絵本に出てきたりするのもあって、最近は「あかはとまれー」「あお(に)なったからいきまーす」と自ら大声で教えてくれる。そういえば最初のうちは青信号のことを「みどり」と言っていたが、いつの間にか「あお」に変わっている。車を運転しない私にとっては、長らくどの色も「車に注意してゴー」のサインだったが、再び本来の意味を取り戻している。

大きな興味の流れはそんなところだが、他にもその時々で細かい注目ポイントはたくさんあった。それらを追ううちに、どの家の軒先に猫がいて、どの家が家庭菜園に熱心で、どの家に車が2台あって、どの家でイベントごとにイルミネーションが飾られるのか、すっかり頭に入ってしまった。毎日決まって目にする、散歩しているご老人や、学校前の警備員さん、児童を見守るボランティアの方々にも人格が宿った。

息子が産まれる前も同じ道を何度も通っていたはずなのに、いったいどこを見ていたんだろうと不思議になるくらい、私は何も見ていなかった。都会とも田舎ともつかない近所の風景が、こんなにカラフルで、こんなに見どころであふれているとは思わなかった。

最近では、犬が前を歩いていても、自動車やバイクが通っても、遠くで電車が走っても、息子は特に何も言及することなく、素通りするようになった。一方母はといえば、その心変わりのスピードについていけず、いまだに「あ、バイク!」と指差して教え、「うん」と冷静に返されたりしている。息子を乗せていないときでさえ、「あ、電車通った!」と、心の中で盛り上がっている。そのうち息子がはたらく車を卒業しても、自分だけ「青いごみ収集車!」「でっかいクレーン車!」と反応し続けるのかなと思うと、なんとも切ない。あるいは、私も息子から一足遅れて、徐々に関心を失い、それらが見えていなかった元の自分に戻っていくんだろうか。

4月からの保育園2年目、息子の興味はどんなふうに移り変わり、私の目はどんな物事に開かれていくんだろう。息子にとって既知のものが増えるにつれて、今までみたいにわざわざ遠回りをして、雨が降っていても雨カバーを全力で拒否して、目をギラギラ輝かせながら必死で何かを見たがるようなことは減っていくのかもしれない。それでもきっと、今とは違う世界がどんどん目の前に広がっていくことだろう。来年の今頃は、同じ通園路を通りながら、それぞれどんな景色を見ているのかな。そんなことを思いながら、今日も自転車を漕いでいる。

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