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生まれたときからつよい人なんていない。 なぜなら、つよさとは自分を変えることだから。 感情に従って生きている人は、頭で何かを決めて実行することができない。 大切なことだとわかっていても、そのときの感情に負けて、すぐに逃げたりやめたりしてしまう。 そんな人は、考えて着々と計画を進める人につよさを感じるだろう。 一方で、考えることを習慣にしてきた人は、気持ちに従う、気持ちを表現することができない。 自分が楽しくなければ意味がないとわかっていても、周りの目や未来のことが
言葉で人の心を動かしたいと思ったとき、つい言葉遣いや、話術に頼りたくなる。 でも、言葉はわたしを写す鏡でしかないから、わたし自身を磨かないことには意味がない。 そんなことを、近畿大学卒業式でのキングコングの西野さんのスピーチを観て思った。 ベストセラー絵本作家としての経験はもちろん、お笑い芸人らしい巧みな話術も活かされた素晴らしいスピーチだった。(noteの最後にリンク貼っておきますね) Youtubeのコメント欄にも、内容というより、スピーチの構成や話術を褒める
大人になってから出会う人のほとんどは、完成された人たちだ。 一緒に成長した小学校や中学校の友達と違って、もうすでにたくさんの経験と成長を重ねて「わたし」が出来上がった状態の人たち。 お説教をしているお母さんにも、反抗期真っ只中の高校生だった時代があった。 私には名前すら聞き取れない哲学者の考えを説明しているおじいちゃん教授にも、締め切りギリギリまで宿題をサボって徹夜した大学生時代があった。 それは理解はできるのだけれど、どうも想像ができない。同じ立場の同期や友達ならま
え、ずるい。 あなたばっかり心配されて。 あなたばっかりひいきされて。 あなたばっかり得して。 そんなふうに思ったときは、自分について知るチャンスだ。 ずるいというちょっとドロドロした感情には、いろいろなものが混ざっている。嫉妬だったり、理想の自分だったり、嫌いな今の自分だったり。 それをしっかりと分析して分けることで、ドロドロとした感情は、キラキラした自分へのコンパスになる。 まず、「何が」ずるいと思うのかを考える。 たとえば、大げさに褒めることでサッカー部
大切なのは、疑問を持つこと。 一度疑問に思えば、自分なりの答えはいつか勝手に見つかる。 もちろん全ての疑問に当てはまるわけではないけれど、自分が信じるものや感覚を言葉にしたいとき、この考え方は役に立つ。 考えて詰まったら、一度考えるのをやめる。そうすると、自然とぴったりくる表現やアイデアがあとから出てくるものらしい。 「発酵させる」と思考の整理学では表現していたと思う。 最近その方法を使って発見したものが、いくつかある。 私は、何をされたとしても、どんなに時間がか
人は、名付け親になりたがる。 自分がつけた名前を、みんなにも使わせたがる。 結婚を幸せなものと名付けたら、それを他のみんなにも使ってもらおうとする。そのために、独身を不幸せなものと呼ぶのだろうか。 そんなことを、このnoteを読んで思った。とってもとっても良いnoteだった。 たしかに、私たちには目の前のものを好きに呼ぶ権利がある。 道端に咲く黄色い花を「サリー」と呼び愛でてもいいし、育てているトマトの苗を「とまちゃん」と名付けても良い。 人がだれかに抱く思いを、
私らしさってなんだろう。私の個性って何だろう。 これらは悩みの定番だけれど、本当の自分なんて、きっとどこにもいない。 なぜなら、個性は作るもの、もしくは気がついたらできているものだからだ。 中学の同窓会で久しぶりにあった友達に、「そのしっかりしているところ、昔から変わってないね〜」と言われた。 でもその「しっかりしている」というのは、元から決まっていた個性ではなくて、たくさんある特徴の中から最終的に残したもの、もしくは残ったものだ。 小学生の頃には他にも、自分中心な
過去は自分を支えてくれるし、未来は自分を励ましてくれる。 そんなことを実感した。 頑張る理由は、過去にもらった好意への恩返しでもいいし、未来のための投資でもいい。 いま立っている環境が、自分を拒み、遠ざけようとするのであれば、過去に頼ればいい。 いま目の前に広がる光景が、自分を奮い立たせるものでないのであれば、未来に目を向ければいい。 「自信は過去から生まれるもの、覚悟は未来のために作るもの」という発想は、スッと入ってきた。 過去も未来も、言い訳にはならない。
今日は、私って何のために頑張っているんだっけモードだった。 勉強も、英語の発音練習も、自分が企画していた大きなイベントも、全て「なんで私はこんなに頑張らなくちゃいけないんだっけ?」と思ってしまった。 それでも何となく頑張り続けるのが、私の良いところであり、ダメなところでもあるんだけれど。 でもそう考えると、昨日までの自分って、明確な理由がすぐに思いつくわけではないのに、よくあんなに頑張れていたなと思う。 その頑張りは、誰かに勧められたとか、何となくとか、必要がないもの
後悔や無駄な時間を減らすための一つの方法が、大切なものを二種類に分けること。 私たちはつい役に立つものを探してしまうけれど、集めるのが怖くなってしまうくらい本当に「大切なもの」をきちんと増やしていきたい。 そんなことを書きました。 道具的価値と内在的価値私たちが何かを大切にする理由は、二種類に分けられる。 一つ目が、道具的価値のあるもの。 これはその名の通り、何かを達成するための道具として見出す価値のことだ。例えば、人がお金を大切にするのは、そのデザインや質感に惹か
先日のノートルダム大聖堂の火事を受けて、歴史学部の友達がこんなストーリーをあげていた。 わたしなりに日本語にすると、こんな内容だった。 これを読んだとき、ただただかっこいいと思った。みんなが注目している出来事を使って、自分が大切にしているものの価値をきちんと伝えたからだ。 歴史や哲学は、科学に比べてわかりやすい功績がない。新しい薬を開発したり、電化製品を生み出したりはしない。 もちろん、わたし自身は役に立つと思いながら哲学を学んでいるけれども、それをいつも理解してもら
自分が何を考えているのか、それを言葉にするのは難しい。 そもそも言葉にできないということは、理解しきれていないのだ。 こうだと思っていたけれど、言葉にするとなんだかしっくりこない。そんなとき、言葉なんかじゃ気持ちを表せない!と匙を投げたくなるが、実際は分析が足りていないだけだったりする。 細かくいうと、完全に言葉に表し切るということは確かに不可能かもしれないが、よりしっくりくる説明は必ずある、という感じ。 これは、生活している中でもひしひし感じる。 「私って、将来役
本当に大切なものは、失ってはじめて気付く。 どれほどの歌手が、詩人が、作家が、この言葉を主題として作品を作っただろうか。 なんど形を変え、語られようとも、私たちは失うまで大切なものに気付けない。だから、この言葉を呪文のように繰り返すのだ。 他の人への、そして未来の自分への警告として。 フランスの世界遺産、ノートルダム大聖堂での火災のニュースを聞いたとき、私の友人は「早くヨーロッパ旅行に、行っておけばよかった!」と言った。二人でヨーロッパに行きたいと話しつつ、旅行の計画
化粧は本来、マナーでも、習慣でもない。 でも街を歩く女性に、「なぜお化粧をしているんですか?」と聞いたら、それが礼儀だから、しないと恥ずかしいから、などと返ってくるだろう。 少なくとも、わたしはそう思っていた。 高校を卒業したわたしは、大学デビューをする周りに合わせて、しっかりとした化粧を始めた。フルメイクというやつだ。しかし、友人との約束もなく、ただ一人で外に出たくなったときは、ほとんどすっぴんで出かけた。家族で近所のレストランに行くときもだ。 そしてある日、母親