話術磨きでは得られない、言葉の重み
言葉で人の心を動かしたいと思ったとき、つい言葉遣いや、話術に頼りたくなる。
でも、言葉はわたしを写す鏡でしかないから、わたし自身を磨かないことには意味がない。
そんなことを、近畿大学卒業式でのキングコングの西野さんのスピーチを観て思った。
ベストセラー絵本作家としての経験はもちろん、お笑い芸人らしい巧みな話術も活かされた素晴らしいスピーチだった。(noteの最後にリンク貼っておきますね)
Youtubeのコメント欄にも、内容というより、スピーチの構成や話術を褒めるものが多かった。でもここで、「人の心を動かすスピーチの法則」みたいな本を手に取るようでは違うよなとも思った。
たしかに、西野さんのスピーチは面白かった。大学生に親しげに語りかけ、関係ないように思えた笑い話を伏線とし、それらを全て回収して心を打つメッセージに持っていった。
でもそれは、「過去は書き換えられるから、挑戦しろ」という言葉を、西野さんが体現しているからこそ、活きた技術だったように思う。
「言葉にできるは武器になる」という本で、コピーライターの梅田さんはこう話す。
言葉は思考の上澄みにしか過ぎない。考えていないことは口にできないし、不意を突かれて発言をする時、つい本音が出てしまう。…思っていることを自在に話す術を得たとしても、話したり書いたりする中身が変わるわけではないため、逆に「なんだか嘘っぽい」「口先だけな気がする」という印象を持たれる可能性すらある。
巧みに言葉を使って人を動かす人を見ると、自分には技術が足りないんだなと思いそうになる。
たくさんの美しい言葉を使って装飾された文章を見ると、自分も難しい言葉や比喩、特別な書き方を学びたいと思ってしまう。
でも、きっとそんな技術は人の心を動かすスピーチや文章の数パーセントでしかなくて、結局は中身が大切なんだ。当たり前のように聞こえるけれど。
若い人に人気なタレント、けみおさんとかりゅうちぇるを観ていても思う。
彼らは、いざという時に言葉を間違えない。人を傷つけたり、弱い人を突き放したりしない。でも人に忖度せず、自分を見失わない。
彼らのぶっ飛んだキャラクターは、たしかに魅力の一部だけれど、一番の魅力は、彼らの言葉の端々に現れる、謙虚さと多様性への敬意だ。
言葉の使い方やファッションだけを真似するだけでは得られない、若者を代表するだけの芯がある。
私たちが発する言葉の99%は、事前に練った原稿なんてない、瞬発的に生まれたものだろう。さらにその10%くらいは、感情的になっていたり疲れていたり、頭も働いていない状態で自然と口から出たものかもしれない。
しかし、それは突然降ってきた言葉ではない。普段気をつけてセーブしている、むしろ普段よりもあなたが詰まった言葉だ。
それを、なんであんなことを言ってしまったんだろうと後悔しないものにするには、中身を磨くしかない。あなた自身を磨くことでしか、言葉の重みは変わらない。
もちろん、自分の中身をそのまま届けても、相手との価値観の違いで想定もしていなかった誤解が生まれることもある。
わたし自身も、高校生にアメリカの大学での経験を話した機会があって、そのときに、自分の頭を言葉にするだけでは、言いたいことは伝わらないというのを強く感じた。猫を見たことがない人に猫を説明するのは、思っているよりも難しい。そんな感じ。
だから、その誤解を減らすために、そして伝えたい中身をそのまま届けるために、伝え方の技術が必要な場合もあることは重々承知だ。
でも、その技術は、伝える中身があって初めて役割を果たす。それも、覚えておきたい。
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