お盆に思うこと-お墓参り-
見つけてくれてありがとうございます。
琴🍀です。
久しぶりの記事です。
なんか、書きたくなった、書けそうな気がしたので、私のためにも、書いてみようと思います。
良ければお付き合い下さい。
お盆休み。
夏休み中の妹の他に、父も家で過ごす。
家族みんなが揃って家にいる時間は、今はあまり好きではない。居心地が悪くて、普段より増して、自室に籠ってしまう。
13日はお墓参り。
……なんだけど、去年も今年も、私は行けなかった。
去年の今頃、私は病棟にいた。
今の私が行きたくてたまらない病棟に、去年の私は居た。
10代最後の夏は、入院生活に捧げた。
経鼻管栄養のための管を入れ、時間になると機械に繋がれていた。
お盆なのに、少しも帰ってこられない程の病状なのか……と、祖父母の心配を仰いでしまったようであった。
このことは、後に父から聞いた。
実際は、私が外泊を望まなかっただけである。
きっと私が強く望めば、担当の先生は1日くらい外泊を許してくれたであろうと、勝手に想像している。
今年の夏…即ち今は、実家で過ごしている。
けれども、お墓参りには行かなかった。
正確には、行けなかった。
去年と理由は違うけれど、また行けなかった。
行こうと思えば、精一杯の無理をすれば、行けたかもしれない。
が、今の私は、頻繁に転び、足を引きづりながらしか歩けない。
炎天下、墓地の急な階段や、石・アスファルトを中距離というのに、怯えてしまった。
加えて、外出のための支度は今の私の大敵である。
セルフネグレクトが、留まるところを知らずに加速している。
行くはずだったお墓に眠っている、曾祖父母、夭折した私の叔母にあたる人。ご先祖さまには心苦しい思いでいっぱいであったが、動けなかった。
いつからだろうか。
おそらく、中学生になった頃からだと思う。
お盆の時期含め夏休み中、ニュースで子どもの死亡事故を目にし耳にすると、『気の毒すぎる。私なら良かったのに。』と思うようになった。
墓石に向かって手を合わせる時。
お墓の中の面々で唯一、私の記憶の中にも居る曾祖母へ、こう呼びかけてしまうようになっていた。
これが、私の記憶にある、最初の年。
以降は、いろいろバージョンができていくのだが、
こんなことを祈り願う。
ある年、お墓参りから帰宅した後に母と、こんな会話をした。
「長いこと手ぇ合わせてたけど、ばぁと、話した?」
母が私に、こう問うて来た。
当時中学生の私は素直にそのまま、こう答えた。
「うん。『ばぁのところに行きたいから、迎えに来て』って頼んできたよ。」
母は一瞬の沈黙の後、まっすぐ私を見つめて言った。
「ばかむすめ!お盆にそんなことっ、考えるんじゃありませんっ!!!」
これは、母が私へ放った唯一の「ばか!」である。
……私は、戻ってきたご先祖さまが、この世からの帰り際に私のことも連れて行ってくれることに、もう何年も、微かな希望を抱いている。
それとともに、『みんな帰るんだから、混んでそうだな…空いてる時がいいな』なんて、可笑しなことも想像する。
お盆がもたらす非日常感は、
『普通に暮らす』の難易度が更に上がる。
なんだかそんな気がする。
ちなみに今年は、お仏壇へ向かって、
お墓参りに行けなかったことを謝り、おかえりなさいの心を伝えた。その後例年通り、『一緒にお空へ』の気持ちも表してきた。やはり何年も、変わらない思いだった。
拝読感謝します。
また、書ける時に書けることを書きます。
また見つけてくれると嬉しいです。
琴🍀でした!