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お節料理とは、どこからが「お節料理」になるのか
お節料理とは、どこからが「お節料理」になるのか。
だいだい、こんなことを知りたいくらいだから、私はお節料理全般があまり好きではない。食べるのも、作るのも。正月料理と言われるものの中から、好みのものを、好みの味付けで食べるだけでいい。
しかし、相手が楽しみにしていると、どうでもいいと思っているものでも作ったり、買ったりすることになる。
それ自体は嫌ではない。
買うのは、予算と量と表記された原材料のバランスから選ぶ手間があるだけなので、苦でも労でもない。しかし、作るとなると普段以上のエネルギーが必要となる。モチベを上げ、自分を納得させるために調べている。
もう半世紀も生きているというのに…
どうにかしてくれ、自分…
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「おせち」は、歳神様に捧げる「節目の日のための供物」という意味から「御節供(おせちく、おせつく)」と呼ばれたのが語源とされています。当然、現在のような料理ではなく、高盛りになったご飯などをお供えしていたとされています。
現代的な「お節料理」は、農林水産省によると次のように定義されています。
御節(おせち)料理とは、節日(節句)に作られる料理のこと。 節日のうち最も重要なのが正月であることから、正月料理を指すようになりました。
ということは、お正月に食べるお祝いの料理である「正月料理」であれば、お節料理ということになります。
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現代では、「めでたいことが重なる」という縁起から、お節料理は重箱に詰めることが多いのですが、ここにも巷で言われるほどの「伝統」や「古来から伝承されてきた文化」はありません。
重箱に詰めることに関しては、Wikipediaからまとめると、
明治時代までは、正月料理は、お膳に盛られた「おせち / 御節」と重(重箱)に詰められた「食積」があったとされています。
重箱に詰めるのは、江戸時代後期(文化・文政年間)の料理茶屋における料理の影響を受けているとみる説、食積と御節の融合が進んだ明治時代以降との説とあります。
現代のように、重箱に詰める手法が確立されたのは、第二次世界大戦以降。デパートなどが見栄えの良い重箱入り御節料理を発売したことによるとも言われています。
重箱は正式には、4段。
四(与)段重は、一の重に「祝い肴」「口取り」、二の重に「焼き物」、三の重に「酢の物」、四の重箱には「煮物」を詰めます。
また、年神様から授かる福を詰める、将来の繁栄余地という意味を込め、『控えの重』と呼ばれる空箱を「五の重」とし、5段にすることもあります。
しかし、婦人雑誌で重詰め料理が取り上げられたのは、明治36年。その時は、三段の重詰め料理。しかも、重詰め料理よりも、本膳料理が一般的であったことが、記録からわかります。
大正期になると、重詰め料理もその料理の種類が多様化します。
五段の重詰め料理が婦人雑誌で紹介されたのは、大正3年以降。以降も、三段や四段の重詰め料理、本膳料理が取り上げられています。
戦後、人々の暮らし方や、経済成長もあり、家庭で作るものから、購入するものへと変遷。
重詰め料理は、「近代の大きな変化の上に作り上げられてきたイメージの産物」とまとめられています。
※ 参照:「近代におけるおせち料理の形成と婦人雑誌 」山田慎也
結局、御節料理とは:
新しい年の幸福を願い、家族の健康や繁栄を祈る気持ちを込めた「お正月を祝うために作られる料理」
重箱に詰める必要はない
時代ともに、料理の種類も形も変わってきた
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知れば知るほどに、励みになるどころか、やる気がなくなる。
ざっくりまとめれば、現代のお節料理は、戦後、デパートの繁栄や社会生活の変化と共に「作られた文化」。その割には、「これが日本の伝統文化」顔して幅利かせすぎではないかい…
とはいえ、家族の幸福や健康を願い縁起を担ぐのは、悪いことでもない。
調べて、悪態ついて、やる気も失せ、振り出しに戻って、安定の我が家年末恒例に着地することになる。
正月料理と言われるものの中から、二人の好みのものを、好みの味付けで食べるために、必要最低限購入し、作るものは30日の夕方から一気に仕込み作る。
せめて励みになるように、AI先生に「おせち作り」をテーマに「こうれい」多様の文章を作ってもらう。
毎年恒例の正月料理作りは、私にとって一大イベントだ。まずは、おせち料理の品数を増やすため、好例を参考に、新しいメニューに挑戦してみよう。しかし、年々体力が衰えてきたことを実感し、包丁さばきも以前のようにはいかない。高齢の身には、少しきつい作業かもしれない。それでも、家族が喜んでくれる姿を想像すると、交霊したように元気が出る。来年も皆で健やかに過ごせるよう、心を込めて料理を作りたい。昔ながらのレシピを皇霊にも見守られながら、高嶺の料理を目指して、精一杯頑張ろう。」
50歳の私よ、今年もおせち作りの季節がやってきた。
気だるさを感じているけれど、これは大切な家族の想い出作り。
小さな努力の積み重ねが、香麗なおせち料理を生み出すのよ。
経験を重ね培ってきた巧みの技は、あなたの誇るべき功績(こうれい)。
おせち作りを通して、家族への敬意(こうれい)を示しましょう。
あなたの真心のこもった手料理は、皇霊(こうれい)さえも喜ばせるはず。
円熟した技で、香醴(こうれい)な味わいを作り出しなさい。
さぁ、気を引き締めて。あなたなら必ずできる!
おせち作りに勤しむ姿は、まさに女性の好例よ。
年末が近づくにつれ、高齢となった私でも、毎年恒例のおせち作りがやってきます。しかし、今年は少しやる気が出ない…。そんな時は、恒例行事を香麗な思い出に変えることで、心に新たな高礼をもたらし、料理を通じて幸令な一年を願うチャンスと捉えましょう。おせちの香りが家中を包むころには、生き生きとした感情が湧き上がり、高齢者だってまだまだ輝けることを証明する絶好の機会となること間違いなし。今年も特別な恒例行事を通して、心に残る正月のスタートを切りましょう!
そうね…。毎年この時期になると、おせち作りが恒例行事として待っているわ。高齢の母から教わった伝統のレシピを守りながら、少しずつ自分流にアレンジも加えてきたのよね。
確かに面倒だけど、家族が「今年も美味しい!」って喜んでくれる顔を思い出すと、やっぱり頑張れそう。皇霊様にお供えするおせちだって、丁寧に作らなきゃね。
去年までの後例を見直してみると、黒豆は少し硬かったかも。今年は良い出来になるはず。おせちが並んだテーブルを囲んで、家族で交礼を交わす元旦の朝…。
さあ、エプロンを付けて、今年も美味しいおせちを作りましょう!
ますますやる気がなくなった。
こちらにやる気がない時のAI遊びは、ますますやる気をなくす、というのが、今年最大の学びであるように思う。