朝から敵味方の境界線に翻弄されたら、平和に行き着いた
私たちは自分の体の一部、あるいは体内にあるものは、手入れをしたり、気を使ったり、不足する場合にはサプリなどで補う。髪や爪であれば、清潔にし、ブラッシングをしたり、ネイルで装飾までする。
体の一部であるうちは、、の話である。
つい先ほどまで「自分の一部」であったものが、体の境界線から離れ、「自分」から切り離された瞬間から、、「ゴミ」や「汚物」となり、冷たく見下される。
床に落ちた髪の毛、切り落とされた爪、鼻をかんだティッシュ。その最強軍団は、排泄物。
なにかに、似ている。
人間社会における所属と排除の仕組み。
会社や学校、友人グループなど、「内」にいる時は大切な仲間として扱われ、保護され、時には特権的な待遇さえ与えられる。
しかし、一度その境界線を越えて「外」に出てしまうと、まるで切り落とされた爪のように、突如として「よそ者」「部外者」というレッテルを貼られてしまう。
場合によっては、私たちの体の一部が「ゴミ」「汚物」へと転換したように、排除の対象にさえなる。「裏切り者」なんだかよくわからないハラスメントやら、嘘つき、犯罪者扱い、私刑など。大人になっても、いや大人こそ、ニンゲンはめんどくさい。
全ては視点の違い。「内」と「外」の境界線自体、人間が作り出した幻想に他ならないのに。
つい数分前、あるいは昨日まで、私の大切な一部(夫かもしれないけどね)だったばず髪の毛。抜け落ちたあとは、別れを告げられることも、感謝を伝えられることもなく、フローリングワイパーで拭き取られるか、掃除機に格納され、ゴミ袋へ葬り去られる。
キミにもう用はない。
しかし、先ほどまで腸内で大切に温め、なんなら最後の栄養を搾り取らせていただいたブツは、体外に放出した瞬間から「汚物」になり、「敵」認定される。ゴミ以下であるにもかかわらず、主は多少の幸福感に包まれ、無事敵を送り出したことに若干の感謝の念がある。
朝から、そんなことを考えている私は、どうかしているのかもしれない。
秋だからか。いやいや、寒いからに違いない。寒さは、妄想にさえ悪影響を及ぼすらしい。
どうかしているかもしれない妄想を、noteに書き捨てているくらいなのだから、私の毎日は平和なのだ。そんなこと実感したのだから、この作業も無駄ではなかった。
平和の新基準:今日もnoteが書けるか
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お腹が弱い、お尻が弱い人は必読。
悩みも、事故も、失敗も、あなた(自分)一人ではないって、わかるだけでも救われます。一緒にわらって^ ^