5月4日 無限には少し足りない世界と、橘の香り
風呂で長男とおしゃべりをする。小2の長男は数字とお金が大好きだ。「1垓円あったらどうする?」「デリバティブ合わせても地球上にそんな金はねえ」とか。
時々繰り返される質問に、「無限より1少ない数って何?」がある。息子は「最強」と同じレベルで「無限」が気になっている。その最強に一歩届かない数字を知りたくなったんだと思う。無限に届かない、無限を見据える数字。答えはまだ思いつかない。
神に近い人は無限に1つだけ届かぬ数ほど寂しいだろう
☆ ☆ ☆
今日は雨。雨でも賑やかな歌がある。
雨そそぐ花たちばなに風過ぎて山ほととぎす雲に鳴くなり
(新古今・夏歌・俊成)
雨に、橘に、風に、山に、ほととぎすに、雲。道具が多い。
上句、「花たちばな」に「風」があたれば香りが流れ出し、きっと昔を思い出す。身体に触れる近景だ。
風につながれた下句。対照的に雲の距離の遠景だ。山のほととぎすは姿が見えず、雲の中に声が響く。そのほととぎすまで、昔を偲ばせる香りは届いただろうか。
無論届いただろう。『古今和歌六帖』第六にこんな歌がある。
ほととぎす花橘の枝にゐて鳴くは昔の人や恋しき
この歌は三句「枝にゐて」が「香をとめて」という表現になって新古今集に入集している。いずれにしろ花橘の香りによりホトトギスが懐旧の情を抱くのは当然の発想といって良い。
「雨そそぐ」歌でのほととぎすは花橘の香が漂う風に包まれ、昔の人を恋しがって鳴いているはずだ。この歌の風は、近景と遠景をつなぐだけでなく、作中主体とほととぎすの心情をもつなぐ。
(現代語訳)
雨がしとしと、降り注ぐ
花橘に
風がふと通り過ぎて、懐かしさに胸がしめつけられる
風の行く先では山ほととぎす
雲の中で香を懐かしみ、鳴いている