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写真の価値と、世に出し続けて、誰かに喜んでもらうお話。

商品の価値はどこで発生するのか?
どうやったら価値は生まれるのか?

価値が生まれるのは消費者に正しく届いて、使用された時だと思う。
商品によって「使用」の概念は変わると思うけれど、ここでは写真の話をしたいと思う。

どうやったら価値を生めるか、
それはひたすら世に出し続ける事だと思う。

価値が発生するのは?

写真を使用するというと、広告であったり卒業アルバムであったり
何かを表現する場である事が多いと思う。

でも広告に使われたからと言って、
「それは価値ある写真か?」と聞かれると必ずしもイコールでは無い気がする。

その広告を見て、見た人(消費者)が何かしらの感情を頂いた時、
そこに価値が生まれるのではないかと思う。

ポイントは「誰かが何かを感じる」という点だと考える。

例えばシャンプーを使ったとき。
髪を洗うことにも価値はあるが、使った人が「サラサラになる」とか「良い香り〜」と思った時に、そのシャンプーに最も価値が出るのではないかと思う。

つまり写真にあてはめると、写真を購入して部屋に飾るだけでは、最も価値があるとは言えない。

部屋に飾ったことで、「その人の生活が豊かになる」とか「気持ちが良くなる」とか「居心地が良くなる」とかそういった感情を頂いた時に、その写真の価値が最も発生するのではないかと思う。

シャンプーを買ったら使うのは当然だし
部屋に飾りたいと思って写真を買ったら、飾るのは当然だ。

確かに購入する時点で、価値を感じているのも間違いではないのだけれど
それを使用して「何かを感じたとき」こそ最も価値が発生すると思う。

卒業アルバムは卒業式の日に見るよりも
10年後、部屋の片付けをしながら見る方がなんとなく価値が高まったような気がする。

それは当時の記憶であったり、感情であったり、
そういった事を思い出して、改めて感じる事が出来るからだと思う。

結局は「何かを感じた」時に、最も価値が出るのではないだろうか、と思う。

価値を生み出すにはどうしたら良いのか?

アンサーは一つだと思う。
世間に出し続けるしかない。

もちろん出せば良いというものではないと思う。
競合より質の高いものを、前回の商品よりもより満足していただけるものを。
そこにはマーケティングの話も乗っかってくるし、元々粗悪な品を出しても意味がない。

でもどんなに良いものでも、
作って満足しているだけでは最も価値のある状態に行き着くことは無い。

SNSが苦手だろうと、PCがよく分からなかろうと、スマホが使えないのであろうと
何かしらの形で世に出さなければ、陽の目を見る事は無い。

しかし、誰かがどこかで見ていてくれる。

「より多くの人に届ける」事と、「届いて欲しい人に届ける」のでは手法は変わるかもしれない。意図しないところに届いて、思わぬ方向から声が届くかもしれない。

しかし、誰かはどこかで見てくれるし、届くのだ。
世に出さなければ、その誰かはどこかでも見る事は出来ない。

諦めずに世に出し続けていれば、
それを見てくれている、応援してくれている人はいる。現れる。

だから価値が無いなんて言う前に、
たくさん出してみるのが良いんじゃないか。

自分では気づけなかった価値に気づいてくれる人がいるかもしれない。
もっとこうしたら多くの人に喜んでもらえるんじゃないか、って気づけるかもしれない。

届いている人は必ずいる。

少ないけれど、僕はきっとそうなんだと思う。
だからその人たちの為にも撮り続ける。世に出し続ける。

1人でも僕の写真に価値を感じてくれて
喜んでくれる人がいるなら、シャッターを切り続ける。

そして今日、また1人価値を感じてくれる人が増えるように
世界に発信をしていこうと思う。

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