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手、つなぐ...?

はじめに

この文章は、NTTコミュニケーションズが提供するオンラインワークスペース「NeWork」がnoteで開催する「#あの会話をきっかけに」コンテストの応募作品として書いたものです。

今回は少し違うテイストで書いていこうと思う。
今後、文字書きとしての仕事をしたいと思っていて、その初めの一歩としてnote内でのコンテストへ応募しようと決めた。いつもは、その時の情緒を大切にしていたため、感覚的。構成も何も考えていない、良い意味で不器用な書き方をあえてしていた。今後は、今回のような誰かに見せるための文章を書いていこうと思う。(それを楽しんでくれる人がいたらいいな。)

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NTTコミュニケーションズがnote内で開催されるコンテスト #あの会話をきっかけに は上記のようなお話を書き綴るものだそうだ。僕自身は何を書こうかなって思って考えていたらやっぱり「家族」のことがいいなって思った。今回はいつもは中々登場しない、叔母について。

母の妹・叔母

「今」の僕にとって、叔母は母同然の存在。
「昔」の僕にとって、叔母はただの親戚的存在。

何がきっかけで、それが変わったのか。
今回はそんな話をしていく。


僕は4歳の頃、交通事故で両親を同時に亡くした。
人生と環境が変わった経験を自己意識がまだ形成されていない中、味わった。正確には気づいたらそうなっていた。周りの大人たちが自分に優しくしてくれていたことを覚えている。その中には当然、叔母もいた。

叔母という存在は、一般家庭では「近いけど遠い」みたいな距離感で、年に1度会うか合わないかぐらいの距離感だと思う。連絡は取り合うけど、行事的な何かがないと会う理由が中々にない。しかし、僕の家庭では違った。近くて、当たり前にように連絡をとって、意味や目的がなくても電話したりする。たまにどちらかの話が長くて、お互いに電話を早く切ろうとする。どうせまたいつでも話せるじゃんぐらいの近い距離感。友達以上恋人未満という言葉があるように、叔母以上本当の母未満という近さ。住んでいる場所も、現在住んでいる場所から自転車で10分程で物理的にも近い。

叔母家族は両親の一件があった時に、居住場所を変えてまで徒歩5分程の位置に引っ越してきてくれた。叔父は仕事を変えてまで(叔父は本来だったら、転勤族になるようなお仕事の職種だった)。

足りない部分を補う

今現在、僕は両親が残してくれた家に兄と一緒に暮らしている。当時、母方の祖父母が引き取ってくれて、今の家で共に生活をすることになった。叔父叔母家族は、祖父母だけに全てを任せるのではなく一緒に面倒を見てくれることを決断してくれたのだ。だから引っ越してきた。

子供が3人いた。それでも僕ら兄弟をその中に入れてくれて、同等の扱いをしてくれた。何度振り返ってみても、一切の区別されている覚えがない。それぐらいに線を引かず、関わりを持ってくれた。3人いる従兄弟たちは、僕にとっては兄弟なのだ。今も、5人兄弟として接してくれるし、僕もそう思ってる。

当時、祖父母では出かける時の機動力が年齢的にも、負担で大変だろうと必ず声をかけてくれた。一番記憶にあるのは、静岡県・熱海での花火大会。毎年、夏休みになると連れて行ってくれた。僕にとって、出かけることはすごくすごく特別なことでおっきなイベントだった。車に乗るのが楽しくて、明るい時間なのに、帰りには暗くなっていることが特別に思っていた。とはいえ、帰りは疲れて眠っているのだけど笑。

寝るとワープしたかのように、家の前についている。車から下ろしてもらって、運転席の窓が空き、そこで叔父さんたちに御礼を言う。「またね」と言いながら、僕らが家に入るまで手を振って見守ってくれている。今思えば、あの一瞬が一番の楽しみにもなっていたかもしれない。

そうやって、祖父母だけでは補えない「両親」を埋めてくれていたのだ。

遠慮してしまう自分

そんな特別な経験をさせてくれた思い出がたくさんあるのだけど、遠慮してしまうことが一つだけあった。街中でなんとなく当たり前にある光景。僕にとっては憧れ。


....自分から手を握ること。


叔父叔母どちらも握ってきてくれることはあった。そういうことも、ちゃんと分かっててくれた人たちだと思う。そこに隔たりもなかった。ただ、僕から握ることが怖かった。やっぱり従兄弟たちがいるわけで、3人からすれば両親なわけで。決して「パパ・ママ」という言葉は使えない自分からすると、それをやってしまうのは違うのではないか。そこだけはどんなに優しくしてもらっても、やっちゃいけないことなのではないか。なぜなら「両親」じゃないから。嫌がられたらどうしようという気持ちもあった。

だから、その光景をみることに慣れようとしていた。多分、自分が思っている以上にその様子を眺めていたタイプだと思う。叔父叔母たちとは手を握らない距離感も意識していた。

初めて自分から

そんなある日、また眺めていた僕に叔母が言ったのだ。


手、つなぐ...?


幼いながら、頭をいっぱい回した。
いいのかな。だめだよな。本当にいいのかな?


...いいの?


なんでだめなの..?


...。


こうたもうちの子でしょ?


...。



パパとママの手じゃないけどいいんだよ?



...でも...。



我慢しなくていいんだよ?



...。(無言で手をつなぐ)



〇〇の手も(叔父のこと)つないでいいんだからね?



...うん(コクリ)




”ちょっとだけ強く握りしめた”



自分から初めて勇気を出してつないだ叔母の手は温かった。
その時から、叔母に対する気持ちが少し変わった気がする。


この会話がなかったら、きっと自分から手をつなぐことは決してなかった。


叔母の家は第二の実家。



実は社会人になって、叔母の家は僕が買ってプレゼントしている。
泊まりに行って、足をのばして湯船に使っているときにいつも思う。



...親孝行できてよかった。




今は、あの時の温もりと感謝を湯船で感じている。




ずっと、ありがとう。




もっと、親孝行するね。





おれ、がんばれ。


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