底に溜まる美味しい口溶け
ぼくらの生活は上澄み部分で成り立っている。
それは何かというと、本音より建前で暮らす人たちが多いということ。
あまり、人と絡みたくないし、友人の和は狭く深くでいいんです。という人がいる。
うん、ぼくだ。
一昔前のぼくのこと。
自分の世界に必要な人は少数でいい。希薄な関係を持ってる方が罪ぐらいに思う自分がいた。だいたい、共通してるのは色んなことを話せなかったり、言っていることが理解できなかったり、自分のことをわかってもらえなかったりと言った具合に、見事にネガティブな理由で人との距離を置いていた。
そもそも、その人にはどんな良いところや、人としても魅力があるのかを見つけようともしなかった。結果、深く付き合える人は数人いるけど、色んなジャンルの人たちとの関わり合いはほぼ皆無。
それを、変えるきっかけになったのはカメラ。
その人の魅力を引き出す為にフォーカスをする。その人はどんな話に興味があって、何を話すとキラキラした目になるのか。表情が豊かになるのか。らしさを感じることができるのか。これに気づいた今の自分は、ふだんの関わり合いの中でも、自身が思う人のネガティブポイントをそう思わなくなってきた。
むしろ、人それぞれの人生をもっと知りたくなった。
ぼくは上澄みしか口にしてなかった贅沢なオトナになっていた。角度をかえたり、視点をずらすとその奥にある魅力に気づける。実体験として本気で思わないとこればっかりは気づけない。たいていの人はわかった気でいるからだ。
目の前にある情報だけに踊らされてはいけない。
たとえ一つのニュースでも、国内の中での内容で比べるとではなく、海外のニュースと照会して比較するのがいい。そこで共通項があるなら、事実。そうでない視点が盛り込まれているなら、客観的見解として認識レベルに留めて、あとは関連情報と紐付けで自分の中に噛み砕くと良い。
回り道こそ、価値。
1ミリの成長こそ、世界の広がり。
ちなみに、ぼくはフラペチーノは溶ける前に飲み切る派です。
おれ、がんばれ。