【閉鎖病棟入院⑤〜眠れぬ夜から明けて編】
私が書いている文章なんて、チラシの裏レベルだ。
noteが気持ちの“捌け口″になるなら…と主治医にも勧められ、書きたいように勝手に書いている。
精神病院に入院する直前、主治医からXを辞めるよう言われ、その通りにした。
またこれまでしがらみの中でもがいていた私は、これから先の人生で二度と関わることがないと判断した、特にピアノ界隈の人物のInstagramのアカウント、LINEも全てブロックした。
何だかモヤモヤする、見ていてソワソワしてくるそれらの投稿や関連性のものを一気に断捨離した。
それでいい、今の私にとって心を揺さぶられ、メンタルがブレるきっかけになるものは、自分の心を守るために必要だったんだ。
人生で初めて自分からブロック作業をした。
これでいい…自分のためにだ。
しかし、自らの心を守るために初めてしたこの行為に、しばらく罪悪感を覚えた。
トイレでお腹が痛くなる夢を見たと思ったら、
本当にお腹がキリキリして目が覚めた。
時計を見ると、まだ朝5時過ぎだ。
昨夜の“ピンク住人深夜大絶叫事件″から眠りに落ちたのに、早すぎる目覚め。
隣室の住人の大絶叫に共鳴するかのように、私まで昨夜は大泣きしてしまった。
詰所までロキソニンを取りに行く際、洗面所で顔を見ると、目がパンパンに腫れている。
それでなくても小さい目が、糸のように細くなり、ブスさ加減に吐き気がした。
看護師の目の前でロキソニンをゴクリと飲み干し、フラフラと自室へ戻る気が失せ、
“女性専用ゾーン″の奥ににある、テレビ設置コーナーへと向かった。
こんなに朝早く誰もいないだろう…
3人がけくらいの小さめのソファに腰を下ろした。
東向きなんだ。
夜明け前のほんのりとした薄暗さの窓から、少しだけ外が見える。
近所にスーパーがあるんだ…知らなかった。
ココにいると外の世界がまるでわからなくなる。
何ちゃらの堀の中みたいだな。
閉鎖病棟の廊下はシンと静まり返り、昨晩の事がまるで嘘だったかのようだ。
しばらくぼんやりとした後、隣室のピンク住人の部屋をチェックした。
寝ているのか静まりかえっている。
無事彼女も寝たのだろうか…ならいいけど。
自室のベッドに転がり、毛布と薄い上掛けに包まり、もう一度寝なければ…と“暗示″をかける。
…遠くから歌声が聞こえてくる。
夢なのか現実なのか、まどろみの中で困惑した。
やがて目を開けると、高い歌声は現実のものだった。
鉄筋コンクリートをつたって、遠くから聞こえてくる。
高い歌声と共に、隣室からアニメ声で喋る早口の独り言が聞こえてきた。
時計を見るとまだ6時過ぎ。
ロキソニンを飲んでから、まだ1時間ほどしか経っていない。
こんな朝早くから、誰が歌を歌ってるんだろう…部屋にテレビもないのに…
耳を澄ませても聞いた事のない歌。
自作の即興曲だろうか…
隣室のアニメ声の早口独り言大会は、誰かに話しかけているようだ。
とても可愛らしい声をしている。
が、30分も経つうちにだんだんとイライラしてきた。
睡眠妨害だ!!
不眠がキツい自分にとって、コレが毎朝の日課になるなんて、たまったもんじゃない!
自宅でも旅先でも、いつでも誰とでも、
睡眠を妨害される事が1番のストレスになっていた。
朝の目覚めで1日が決まると言っても過言ではないくらい、睡眠は大切なんだ。
入院しているのに、6時間も寝れないなんて、いったい何のために入院してるんだ!
詰所に向かう。
また涙目になった。
頓服は時間的にもう出せない、と断られた。
失望して自室に戻る気がしない私は、
“ガンギマリ″の状態で、女性専用ゾーンの奥にあるソファ席へ向かった。
すると、早起きしたという私よりひと世代年上の女性が一人で座っていた。
爽やかな顔をし、ターバンで髪の毛をあげている。
『おはようございます…ココ、いいですか?』
『あら、おはよう!いいよ、どうぞどうぞ!
どしたの、その顔?眠れた?』
『いや、それが全然…今も歌声聞こえるでしょう…早口の人の声は聞こえないけれど…』
昨夜からの一連の事を、その女性に話す。
深妙な面持ちでうなずく彼女の顔色を見た。
何とも言えない顔をしている…
何か事情を知っているようだ。
『それは大変だったね…夜眠れないと余計ストレスだよね、看護師さんに話した?
実は似たような事が何回もあって、お部屋変わった人もいるんだよ…』
やっぱりそうなんだ…
『そうなんですか…正直、入院してる意味がないというか…まだ慣れてないのもあって、生理もキツいし、ゆっくり寝たい…んです。』
『生理も重なったらしんどいねー!ココは慣れるのに1週間くらいはかかるよ…私も初めそうだった。
今ね、私たちの4人部屋でもうるさい人が居て、みんな困ってて、昨日その人1人になったんだよ…』
ターバンの女性は、私の個室とは反対側にある4人部屋のゾーンを指さす。
『………。』
『それね、看護師さんか、病棟管理の人にちゃんと言ったほうが良いよ…毎日続いたらたまったもんじゃないよ…』
『わかりました…ありがとうございます…睡眠不足とイライラで目がパンパンに腫れて、マジみっともない…私。』
初めて自然に笑った。
『大丈夫だよ!みんなあるあるだから…それよりトイレ気をつけてね、流さない人いるから…』
『流さない?はい…わかりました…朝早くからありがとうございます…』
ターバンの女性に軽く頭を下げて、自室に戻った。
隣室のアニメ声の早口独り言はまだ聞こえる。
もう眠れないと悟った私は、起きる事にした。
顔を洗い、歯磨きをして、7時になったら開く詰所の前の広間へ、コップを持って向かった。
高い歌声は女性ゾーンの1番奥の個室から聞こえていた。
『よっ!姉さんおはよ〜!今日は朝早いね?』
京極がもうテレビの前に座って、声をかけてきた。
『おはよ〜ございます…』
見ると、凛ちゃんと、色素薄い系男子、3人で座っている。
お茶をついで、早速彼らの横に座り、背伸びをして大あくびをした。
『だ、大丈夫?…目が…泣いたの?』
凛ちゃんが気づく。
『あのさぁ……』
昨夜からの事を京極と凛ちゃん、色素薄い系男子に話した。
凛ちゃんがすぐさま反応した。
『わかるよ、私ら4人部屋でもブツブツ言う人居てさ、大変だったもん!看護師さんに言った?』
『うん…頓服飲んだけど、午前2時過ぎたら翌日にクスリが残るから出せないって…さっき断られた…看護師さんには全部喋ったよ…』
『マジかぁ…部屋変えてもらえるといいね…』
凛ちゃんが心配している。
『それってもしかして…あのピンクさん?』
京極の鋭いひと言が出た。
『私の隣の部屋だったのよ…テラスに昨日出てきたとき、そんな風には見えなかったんだけどね…“一人二役″には参ったわ…なんか歌声も聞こえるし…全然眠れねー!』
『オレさ、見た事あんだよ。あのピンクさんが雄叫びあげてるの、そこのベンチで朝から…』
京極が詰所の前にあるベンチを指さす。
『マジですか…部屋の配置どうやって考えてるんだろね…今日寝れなかったら発狂しそう…』
『とりあえずドンマイ!
お!朝メシ来たから解散しますか〜。』
京極らとバラバラになり、朝食を食べに自室へ戻った。
朝食も普通食に戻してもらった。
今朝は何だなんだ…?
食パン(おそらく8枚切り)一枚
いちごジャム
キャベツの和え物
コンソメスープ
パイナップル
牛乳
えーっと、、、8枚切りってこんなに薄かったっけ??一応レンチンであったかいけど…
コンソメスープは、ほうれん草と人参が数枚、お椀の底からやはり2cmしか入っていない。
パイナップルはリンゴみたいな薄い色で、ガシガシと硬く、甘みはない。
牛乳はパックなのだが、今日初めて気づいた…低脂肪乳…牛乳じゃない!!
え…普通食でコレ??
どうしよう…あまりに味気なくて涙が出そうだ。
これまで胃腸炎、扁桃腺、喉頭炎、子宮筋腫…に至るまで、全国の病院にありとあらゆる入院経験がある私でも、ココほど不味い病院食は初めてだった。
なんで?
精神病院だから、患者が味分からないと思われてる?
それとも何?体力使わないから?
予算の関係?
でも一食あたりの単価、紙に書いてたよ?
嘘なんじゃない?……
昔仕事で食べていた学校給食のほうが100倍美味しいんだけど…
昨日みんなが、『ふりかけは必須!!』と言ってたのはこの事か…
てか何で汁物が底から2cmなんだよ…
どんだけケチってんだよ…
朝8時20分をまわったところで、公衆電話にむかった。
相方に“モーニングコール″だ。
『おはよ…昨日寝れなかった、最悪。
ご飯がヤバい…』
『マジで?最悪だな…それちゃんと言ったほうがいいよ…』
テレフォンカードの数値を気にしながら、早口で喋った。
『でもね、良い事もあったの、気軽に喋れそうな人が何人かできた…みんな“フツウの人″だったよ…だから何とか気持ち保ってる…』
『喋れそうな人居て良かったな…明後日面会に行くから、何か食べたいものあったら言って。』
『果物食べたい…でも生ものダメみたい…とりあえずデラウェアかハウスみかんみたいなの持ってきて。』
『わかった。面会11時半で予約してるから待っとき。』
『もう切るね…猫たちのことお願い。じゃあね…』
短い電話を切った。
家に居る、小梅とシロ太のことが気になった。
相方は忙しいので、何日か一度、叔母と博士に様子を見にきてもらうよう頼んでおいた。
『おはようございます…調子はどんなですか?』
若い主治医、Dr.Mがやってきた。
『…聞かれたと思いますが、眠れませんでした。』
『夜勤の者から聞きました…病棟は今4人部屋しか空いてなくてですね…』
『4人部屋でいいです!寝れないなら個室の意味なんかありません!!』
『わかりました…後で話し合います。
それとですね…昨日僕が言った事で語弊を招いたようで、、開放病棟の事、他の患者さんから聞かれたんですか?』
『この病院をネットで調べたとき、開放病棟があると書いてありました、他の人からも昨日聞きました!』
この嘘つきめ…という目で主治医を睨みつけた。睡眠不足も重なってイラついていた。
『僕の言い方が良くなかったです…この病院は確かに開放病棟もありますが、全て内側から鍵がかかっています…そういう意味も含めて閉鎖病棟しかないと言いました…誤解を招くような事を言って申し訳なかったです。』
パッチリとした二重の目で、主治医は私をジッと見つめた。
『……開放病棟には移れないんですか?』
『今のところ…難しいですね…ベッドの空き具合とか色々…話し合ってみなければわかりませんが、ご希望でしたら“見学″に行かれますか?』
『見学?!行きたいです!』
『では病棟側と話してみるんでお待ちください。午後になると思いますが…』
『先生、私売店って1人で行ってもいいんですか?お金は自分で管理してます。』
『それも含めてこれから話し合います、それではまた午後に来ます。』
開放病棟の見学に行けるの?!
嬉しい!
急に機嫌が良くなった。
でも、下の売店に1人で行くのも全部許可制なんだな…
そういえば、皆“お小遣い帳″を詰所で管理してもらってたな…
朝早く、広間の一角でその日食べたいお菓子やジュースを、薄いメニューの中から注文票に記入している人を見て、不思議に思っていた。
ということは、やはり売店に1人で行くのも禁じられてる人が多いのか…
アイスクリームとカップ麺は土日しか注文できないと昨日誰かが言っていた。
15時の“おやつタイム″に合わせて、注文票を受け取った看護師が下の売店まで、まとめて買いに行くらしい。
朝早く起きて、おやつの注文票を嬉しそうに選ぶ人たちをたくさん見たな…
気になっていた献立表を見に行く。
半月分のメニューが、学校給食のメニュー表みたいに貼ってあるが、1日の摂取カロリーが、およそ1950kcal〜2080kcalと書いてある。
あの量で?
本当に?
目を疑った。
一食あたりのおよその単価も書いてあるが、
朝、相方に話すと『原価100円もかかってないんじゃない?』と言われた。
そうなのかもしれない。
ただ、入院生活では食べることくらいしか楽しみがない。
これじゃあ早く退院したくもなるよな…
もしかしてそれが狙い?
いらぬ事ばかり考えた。
『橋本さーん、今日お風呂どうするー?』
看護師から声がかかって気づいた。
そうだ!お風呂の日だった。
でも生理3日目だ。
『生理3日目なので、1番最後で大丈夫です。』
やれやれ、朝から風呂か…
持参した洗面用具とシャンプー&トリートメント、バスタオルに下着を用意して順番待ちをした。
一回に3人までの入浴、制限時間は20分。
女性専用ゾーンにあるベンチでは、今朝のターバンのお姉さんもドライヤーをしていた。
名前を呼ばれて行くと、最後の1人になっていた。
更衣室に女性看護師が2人、暑い暑いと漏らしていた。
午前中のお風呂タイムが終わり、ドライヤーをかけながら考えた。
本当に具合が悪い時は、風呂に入る気力さえなくなる。
髪を洗うのに体力も使う、風呂まで向かう気力と体力がマイナス100くらいになる。入ればスッキリするのは分かりきっているのに、入れなくなる。
家で私が風呂をサボるようになったら“赤信号″突入期だ。
そんな時は相方に風呂に入るよう“声かけ″をしてもらっていた。
ココでも風呂に入るのを嫌がる人も多いと聞いた。
けれど、昨日知り合った凛ちゃんや京極らとは今日もどこかで喋ることになるだろう。
閉鎖病棟と言えど、れっきとした社会生活だ。
最低限の清潔は保たなければならない。
入院前はあれほどまで孤独だったのに、ココに来て数日経ち、それを忘れていた事に気づく。
ドライヤーを返却し、洗濯機置き場へ向かい、バスタオルや衣類などを放り込み、洗濯カードを差し込んで洗濯開始だ。
風呂からあがって涼んでいる時、隣室のピンク住人を見た。
上下バラバラのピンクのパジャマを着て、鼻歌まじりに歌う彼女とすれ違った。
彼女は私に気づいていない。
昨夜あれだけ隣室で喚き散らした事も忘れているのだろう。
今日話しかけられたらどうしよう…
昨夜の不眠の原因となったピンク住人と、まともに会話しようと思える精神状態ではなかった。
『橋本さん…お部屋移動しましょうか?あっちの4人部屋になるけどいいですか?』
看護師2人が大きな移動用の台車みたいなものを押して、私の部屋へやってきた。
やった!!!!許可が出たんだ。
これでこの個室から解放される!!
隣室のピンク住人ともおさらばだ!
今日からしっかり寝れる…
荷物を雑にまとめて素早く台車に積み込んだ。
向かった先は4人部屋…
部屋のプレートを見ると、1人しか名前がない。
アレ?ココってもしかして……
なんとなく不吉な予感がした。
https://note.com/kota1124/n/nb6432f455ac2