だんだん
こんにちはこんにちは
地域に密着し活動していると仕事中に地元の文化や歴史を学べるのも、この訪問理美容(福祉理美容)という仕事の楽しみのひとつだったりする訳です
しかし、戦争を経験された高齢者のお客様の中には戦火を逃れる為、生まれ故郷を離れたお客様も多々おられます
各地にローカル放送局があったり今ほど関西弁が知れ渡っていないばかりか
テレビ放送が始まるよりも前の時代…
ラジオからは標準語しか流れていなかった昭和10年代、生まれ故郷の愛媛県から農家をされている地方の親戚のもとに両親と共にやってきた10歳のOさん
地元愛媛県では元気盛り遊び盛りで元気いっぱいお転婆少女だったOさんですが、生まれ育った愛媛県の方言が理由で大阪ではなかなかお友達ができなかったんだとか
すると元来負けん気の強かったOさんですが、学校では何を誰から話しかけられても話す事を辞めてしまったそうな。
その理由も何も話さないOさんに途方に暮れた学校の先生は
『お宅の子はどうやら耳が聞こえなくなったようなので、うちでは面倒をみきれん。』
と、Oさんのお母さんに言ったのだとか
その日の夜…
夕食中に両親にその理由を問い詰められたOさんは、今にも消えそうな声で
『ウチは良くしてくれる皆に【だんだん(ありがとう)】って言ったら笑ってバカにされた…皆がウチの言葉をバカにして大声で笑った…』
とだけ言うと茶碗を置いて布団の中に潜り込んだそうな
翌朝…
朝食中に父親から
『大切な大切な故郷の言葉をバカにされて、故郷の素晴らしさを言って解って貰えないのが悔しいのに、何も言い返せないようなら学校へなんぞ行かんでもよい。
バカにされて、ただヘソを曲げて逃げているだけで故郷に申し訳ないと思わんのか?
愛媛は嫌いか?おまえの恥か?なぜ胸を張らん?よくよく考えて学校へ行くか行かんかは、おまえが決めろ。』
そんな風に言われたんだとか
元来負けん気の強かったOさん…
その言葉に何かが吹っ切れたようで
その日から、徐々にOさんとその周りには笑顔と明るい笑い声が戻ってきたそうな
『今じゃ随分と関西弁になってしもたけど、ついつい『おおきに』やなく『だんだん』って言うてまうんよね。』
と、笑うOさん
今日も散髪して顔剃りも終わって
飛び切りべっぴんさんの飛び切りの笑顔で
『はい、だんだん♪』
と、手押し車を押しながらリハビリへと向かうのでした
おしまい