研修旅行-京都教育大学、関西大学 1
少し前になるが2月3,4日に大学院の同期数名で現職の先生方と共に、関西へ研修旅行に出かけた。今回はそのことについて書こうと思う。2日(木)の夜の夜行バスに乗り、3日(金)に京都教育大学付属桃山小学校の公開授業、4日(土)に関西大学初等部の研究発表会に参加した。関西の学校の授業を見るのは初めての経験であり、関西弁が自然に飛び交う教室の様子は新鮮だった。
ここでは印象に残った点についていくつか書き記しておきたいと思う。まず驚いたことは、思考ツールがどの授業でも使われていたことである。二日で合計4つの公開授業に参加したわけだが、思考ツールが使われなかった授業はひとつもなかった。またそれに伴い、ICTも積極的に活用されたいた。
どのクラスもロイロノート(クラウド型の授業支援アプリのこと。クラウド内で学習履歴も残しやすく、ICTを使っての先生、生徒同士での共有が簡単に実現できる)を使い、ダイヤモンドランキング、フィッシュボーン、ピラミッドチャート、マッピングを授業内に手立てとして導入する。本当に、全てのクラスなのだ。これには少なからず驚きがあった。自分の小学生時代を思い返しても、思考ツールを使った覚えはほとんどない。あっても、マッピングをやったことあるかな?という程度。自分と同年代の人たちは、多かれ少なかれ同じような感覚なのではないだろうか。
もちろん、公開授業という場であったため普段の実情はまた違うのかもしれない。しかし、思考ツールの使用が今の教育の流行であるということは実感できた。一日目の午後の分科会(公開授業の内容を振りかえる会)で、ロイロノートの効用について授業者の先生が話した内容が印象に残っている。
「子どもは他の子が何を書いたかとても興味を持つんです。そういう意味ではロイロノートは誰が何を書いているのか一遍に可視化できるので便利です」確かにそうだと思う。特定の生徒だけの意見が取り上げられるのではなく、全員の意見を見ることができる環境を作ることは進歩のように思える。
しかしそれだけであろうか。教室にあるテレビのモニターに全員の意見、成果物が映し出される。それは、「皆と違う僕」を克明に描き出してしまう装置でもないだろうか。思えば現代では、他人の生活を覗く欲望に満ちている。Twitter、Instagramでは今、みんなは何をしているのチェックをし合い、YouTubeでは普段の生活を移したルーティーン動画がバズる。最近サービスが終了することが決まったが、Zenlyという若い人たちの間で流行した地図サービスのアプリは、登録した友達同士の居場所を、お互いGPSで共有し合うというものだった。
みんな、他の人がなにをしているのか気になっている。教室にもその欲望は拡大する。教室は社会の縮図だからだ。その結果がロイロノートであろう。しかし、テレビのモニターに全員のものが写されるとわかっていて、周りと違う自分のものが写し出されたとき、人は自分が間違っていたんだと思ってしまわないだろうか。
そして、周囲と比べて浮かない程度の意見を書いてその場をやり過ごすであろう。ロイロノートという存在がなければ、いい意味で「皆と違う僕」に気づかないまま成長できた部分があるかもしれない。この積み重ねがこの子らしさを形成し、その子の特徴になるかもしれない。ロイロノートは、周囲と自分との距離をあまりにも正確に測れてしまう。自分と社会とのズレを、あまりにも早く矯正することができてしまう。
このシステムは、周りと同じような子どもを大量に生み出してしまわないだろうか。
月並みな言い方であるが、我々はICTの導入には常に眉に唾を付けておかなくてはならない。ロイロノートの良いところも、もちろんたくさんある。しかし、どの学校のどの授業でも見られた風景、教室の中で子供たちの成果物をモニター越しに共有している姿は、モニターで人々の動きを監視している監視カメラのシステムと、場面が変わってしまえば、何ら変わりのないものなのだ。
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