【雑記】私なりのお布施の意味ー誰かが生きることができるならー
こんにちは、こしぇるです。
今日はお布施について書きたいと思います。
ある日パートナーから、ライブのチケット買ったと言われた。
そのライブに出る出演者から、買いませんか?と言われたそう。
なんで買ったのかというのを、お互いに話しながら深めていくと、行き着く先は相手の幸せだった。
その出演者とお話を結構したそうで、境遇が似ていることや、集客に悩んでいることなどを聞いて、同情心もあったのかもしれない。
でも、このお金でその人が生きることができるならというのが、私たちの答えだった。
騙される可能性も含めてだ。
自己満足といえばそれまでなのかもしれないけれど、私はそういうことが巡って、後々返ってくると思う方である。
このエピソードで、ふと思い浮かんだのは、母親であった。
毎年年末ジャンボを買っている母。
当たる確率低いのに、なんで買うのと聞いたことがある。
「当てたいんじゃなくて、1年の締めくくりに寄付してるんだよ」
それを聞いて、お金のない年だろうが、関係なく誰かのために寄付する母親を尊敬するようになった。
確かに寄付というのは、着服等危ない感じはあるけれど、宝くじだと目に見えるところでその寄付金を使用されていることがわかる。
たまに使用されたものに、宝くじのキャラクターがしれっといるのだ。
1番しっかりと使われていると実感する寄付金なのかもしれない。
母親は、それはもう商売の神様から好かれている人だ。
私はそれを見て、巡り巡って返ってきているのだろうと少し思っている。
オタクのお布施も特定ではあるけれど、その人が生きられるようにという思いが、私は大きい気がする。
まだ開けていないTシャツが結構あるけれど、毎回グッズを買う時はお布施を送る気持ちで購入する。
推しが生きていけるように。
来年から私は再出発する予定であるけれど、無事なんとか生き延びることができたなら、年末ジャンボ寄付を始めてみようかな。
誰かのためにね。
ではまた