人間の歴史という「九相図」を読む。【読書感想】吉田知子『千年往来』
奇妙な小説である。
作者はどんな気持ちでこの作品を書いたのだろう。深淵なメッセージを含んでいるのか?それとも意味など無く、書きたい様に書いてるだけなのか?深読みしてしまう。思考をやめられない。
「吉田知子」とは読者にそうさせてしまう作家なのだと思う。
千年の大きな物語
タイトルどおり、この小説はある地域にまつわる人間達の千年間の歴史、営みを描いた物語だ。1996年に発行されているので、90年代を現代として、時を遡る。平安時代、戦国時代、明治、大正、世界大戦時等。特徴的なのは時系列順ではない、ということ。話が現代から千年前に遡り、現代に戻ったと思ったら今度は明治時代へ、というように経過がバラバラなのだ。
読み進めると、「黒い岩」というキーワードが頻出しており、この岩の周辺地域で生活する人々を時代ごとに短編で描き、まとめた作品なんだと気づく。
だが、この作品は「短編集」と言いきれない独特な雰囲気を漂わせている。目次も章立ても何もないので、段落が変わった時に違う時代の話をしてるのか、前の話の内容の続きを書いてるのか一瞬わからなくなる時がある。吉田氏は今どの時代の話で、誰のことなのか曖昧にしたくて敢えてこんな書き方してるのかと感じた。短編の集まりではなく、千年の大きな一つの物語であることを強調させたいのではないかと。
読む「九相図」
どの話にも共通しているのが、「死」だ。ほの薄く、時にはダイレクトに人間の生き死にが描かれている。富裕層の家の前に行き倒れた旅人の死体が転がっている。自殺を決意する者もいれば、戦争から命からがら逃げおおせた者の話等、楽しい話ではない。
自分はまるで「九相図」を読んでいるみたいだと思った。
「九相図」とは朽ちて様変わりしていく死体を定点観測して描写した絵だ。
黒い岩(周辺地域)を定点観測している。読者は結果としてそこに住む人間達の1000年にわたる歴史の営みを目撃することになるのだ。生と死、繁栄と衰退、美と醜。喜び、悲しみ、怒り、楽しみ、様々な感情。相手を愛おしく思ったり、貶めたり、争ったり、懐かしんだり、様々に変わっていく人間達を。
「九相図」では美しい女性が、直視できない悍ましい肉塊に変わっていく。永遠のもの、変わらないものなどない。どんな人も「死」という結末からは逃れられない。変わらぬものなど無いが、変えられないものもある。人間の歴史もそんなものなんだと。
魅力はあるけどよく分からない小説
面白いのは作品の雰囲気が(語り口調?)重々しくなく、どこかさっぱりとしている、ということ。何だかあまり読者を物語に感情移入させないようにしているようにも感じる。内容の割にページ数はそれほど多くない。壮大な長編にしてもいいのに、敢えてしない、という作者の意思を感じる。
人は死ねば「九相図」のように皆朽ちていく「死」は珍しいことではなく誰しもにいつか訪れる事象だ。自然なことだから、今までも当然のように続いてきたし、これからも続いていく。それを仰々しく、特別に表現したりなんかしない。という風にも受け取れた。
そんなことをこの作品で伝えたいのかもしれない。
自分でもこの本の印象が、感想がまとまらない。時間が経てばまた感想が変わりそうな気がする。こんな色々考えてるの自分だけなのか?もっと素直に読めばいいのか?分からない。だからこそ他の人の感想を聞きたい、と思う。
ここまで読んでくれた方、まだ読んでいなければ是非読んで感想を何かで発表してほしい。それを読んでみたい。