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成熟しすぎた社会だからこの本を読みたいー『パリのmatureな女たち』雨宮塔子著ー
今日も1冊古本を読み切ったのでご紹介します。
ですが、今回はちょっと本の内容に切り込むというより、読み終わってみてふと思ったことを類推的に、本の内容の斜め上くらいを狙って文章を書いてみようと思います。
…うまくいくかな。
matureな人って?
今回読んだのは『パリのmatureな女たち』雨宮塔子著。
雨宮塔子さんは日本でアナウンサーとして活動後、パリに渡って暮らされています。
この本では雨宮さんがパリで出会った10人の女性たちを独自の観察眼と思索によって描き出しているのですが、最後まで読んでみて1番関心を持ったのがこの本のタイトルでした。
matureとは英語で「成熟した、分別のある」という意味。
そして、このことについて、あとがきで雨宮さんは以下のように触れています。
ここで登場してくる10人の女性たちは、私に、"maturite"("mature"のフランス語)とはどういうものであるかを示してくれた女性たちです。中にはすごく身近な人や、反対にもう一生会えない人もいるけれど、10人が10人、私が愛してやまない女性たちです。
この本に登場した10人の女性たち、1人1人あげるとキリがないくらいに色んな個性、信念、問題を抱えた人たちでした。
しかし、雨宮さんはその女性たち全員に共通するものとしてmatureであることと述べています。
じゃあ、matureな人、成熟した人ってどういう人なんだろう、と当然疑問になるわけですが、雨宮さんは以下のようにこの疑問に答えています。
"mature"な魅力に溢れた女性に共通していることがあります。それは他人の人生をジャッジしないこと。ーー当事者にしかわからないことがどうしてもある。そうした中で周りの視線に流されず、自分の心に問いかけて答えを導き出してきた人は、他人の選択をもリスペクトできる器があるのかもしれません。
もう一つは言い訳しないこと。弁説に励むよりも、行動で示す女性に、私は魅かれてやみません。
matureな人とは「他人の人生をジャッジしない」、「言い訳しない」人。
まさにmatureという意味そのものを体現した人だと思います。
成熟しすぎた社会
この本が出版されて11年が経った今…
この雨宮さんのmatureについての言及を読んでふと頭に浮かんだのはMBTIのことでした。
そう、性格診断のあのMBTI。
あれが流行り出した時、僕としては若干嫌悪感を感じていました。(と言いつつやりました、INTP-Tです。だろうなとか言わないで。)
色んな人のSNSのプロフには自分の診断結果が書かれ、アイドルの診断結果も公表され、それをみんなが見ている。
一言でその嫌悪感を言うと、人間に製造番号がついたような違和感とでも言うのでしょうか。
自分はこうだ、自分はこうなんですよー、あなたはこうなんだね、あの人はこうらしいよー。
今まではブラックボックスだった人間性というものに、個性というものに、規格が与えられてしまったような違和感。
この本が出版されて11年、現代では人よりも社会の方が成熟したんじゃないかと思ってしまいます。(すごいレトリック的言い回しですが。)
人の個性・人間性が成熟したのではなく、それを取り囲む社会が成熟していった。
その結果、個性は規格化されるようになった。
僕にはそんな考えが浮かんできたわけです。
成熟「しすぎた」社会になった
成熟した社会と書きましたが、もっと僕の感覚に近いところで言えば、成熟しすぎた社会になったんじゃないかと思います。
10年前って現金・クレカ決済以外に広く普及した決済方法はなかったと思うし、発達障害なんて言葉も子供にしか適用されてなかった。
テクノロジーも科学も、僕は決して専門家ではないけれど、色んなものが進化した。
でも、肝心の人間がその進化に置いて行かれた。
MBTIで人は規格化されるし、発達障害という概念によって人の限界がライン引きされるようになった。
それは悪いことばかりではない、絶対に。
これまで目に見えなかった、誰の目にもとまらなかった苦しさに光が当たるようになった。
でも、そのスポットライトの影に隠されてしまったものがある…それがmatureなんじゃないかなと、僕は思っています。
mature、それはとても痛い言葉
僕が考えたことを読んでいただいた上でもう一度、2つ目の引用を読んでいただきたい。
matureな人とは「他人の人生をジャッジしない」、「言い訳しない」人。
とても痛切に、僕らを刺すような言葉に感じるのは僕だけではないはずです。
「他人の人生をジャッジしない」ということについて。
先述のとおり、僕らは他人を評価し、推し量る概念や言葉をたくさん知っている。
そして、無意識にそれらを使って人について考え、思い込んでいることがある。
そして、「言い訳しない」ということについて。
僕らを規格化する概念があり、僕らにも「仕方がない」と思えることが増えてくる。
そんな現代で、matureという言葉はとても痛い言葉だと感じます。
あまりに正しくて、重く、鋭い言葉。
でも、忘れてはいけない言葉のようにも感じます。
そして、きっとこの言葉が人間に遂げられるのはもっともっと先の未来なのかな、それとも永遠に遂げられない不朽の命題なのかなとか、色々思ったりします。
…え、結局何が言いたいん!!というツッコミは控えてもらえると…。
つまり…この成熟しすぎた社会だからこそ、この本を読んでよかったなと心から思えているということです。
だって、matureな人って素敵だなって、この本を読んで思えたからです。
多分僕の文章だけでは伝わらない部分なので、そこはぜひ一度読んでいただけると嬉しいです。